2016-01-01から1年間の記事一覧

秋風や

芭蕉の弟子の去来の句であったか、 秋風や白木の弓に弦はらん。 湿気が失せて、一気に気温が下がり、秋口に白木の弓を引き出してくる。 そういう一句に則して言えば存外風流であるが、 何のことはない最近弓を買ったのである。 故人は弓をそれこそ何張りも購…

馬手

久しぶりに200本引いた。 といっても100本を越える日も最近は週に一度はあったが、 やはり矢数がないと気付きが訪れない。 最近ずっと調子が悪かったから引くことに集中していた。 188本目でやっとおかしい箇所に気づく。 あ、しまった、これはこうなんだ、…

小離れ

小離れ、中離れ、大離れ、 教本にはおそらく弓道の初心者は心持ち大きく離すような離れが良い、 と書かれている筈である。 古写真を見ると、どの名人もいわゆる小離れである。 現代の人間にはもしかしたら真似出来ないことではなかろうか。 自然に離れた結果…

街角の名人たち

どんな街角にも弓の名人はいる。 私の知る限り、いまよりも弓の文化が華やかだった時代がある。 さながらスター・ウォーズのEpisode 0の世界であるが、 つぶさに見ると文化が興隆と衰退を繰り返している、まさに衰退の部分に残念ながら私たちは身を置いてい…

100分の一秒の弓

さいきん道場で練習しているときに、 たまたま他所の道場の人が来ていた。 それは少し変わった人で藪から棒にスマホで射形を撮影して、 ここがよくない、これはいいね、と本人と反省会をする嫌いのある人であった。 例に漏れず私も撮影対象になったわけであ…

朋輩

初めて会った人のなかにも不思議と気が合う人がいる。 それは年齢や性別すら関係ない。 以前から考えていた流派の仕組みについて全く同じ意見を持っている人にたまたま会った。 自分しか世界の中で気づいている人間はいない、という気持ちでいたので 悔しが…

ある弓道場にて

弓道場に行った話 その日はやたら混んでいて、大学生やら、社会人やら、大学生でも他大学の十何人かが押し寄せて来た日であった。 的はせいぜい八つ九つしかないから、必然身内での持ち回りか、初対面での譲り合いとなる。 そこに和服を着た眉目秀麗であった…

名人

たまたま有名な人と一緒に弓の練習をすることがあった。 ネットではよく見ていた人で、穴が空くほど見ていた人だったけれど、 実際どういう人なんだろうと興味津々だった。 ここで話として面白いのは、豪快な弓を引いて、一つ一つの言葉にものすごい含蓄があ…

羽分け

ひさしぶりに弓の試合にでた。 弓道では的に半分矢があたることを羽分(はわ)けという。 的中率50%という意味である。 あたった矢と、外れた矢が羽で数えると半分ずつ。 弓を引いている人の間では常識である。 もう何年も弓を引いている人がたまたま試合会…

厳しい時代に妙薬を

この職場にも3月末の大人事の波が来た。 なかなか仕事のできる人間の集まりかと思えば幾人かが呆れ返っている。 公然と上役を批判するちょっとしたアナーキーである。 人事を司るのもこれまた優秀な人間であるが、 人の心のざわつきを作る力も強かったと見え…

弓と心?

古来、弓を心と結びつけることはあまり盛んではなかった。 戦場で命のやり取りをする上で自らの心を省みることに価値を置かなかったためである。 敵を斃せば生き、射抜かれれば死ぬという簡単な結論しか用意されていなかった。 近世に入る前、日置流が誕生し…

古武士のような

なんとなく昔のことを思い出したので書く。 いつもの弓の話である。 高校生の頃、同じ地区内のK女子高校にO先生という人がいた。 いつだか顧問のN先生と立ちを組むということで十二人立ちの大道場で矢取りを頼まれていた。 O先生は十二番的の大落で、私は後…

トップアスリート

清原が逮捕されて非常に衝撃だった。 物心ついたときに野球中継を見だして、丁度清原がFAで巨人に入ってきた頃だった。 もっとも気がついたら高校生のときで、第一次原政権の代打清原が一番印象に残っているが。 終盤の勝負どころか、勝負どころかよく分から…

世界を見るということ

弓の話である。 先日稽古をしている時、立ちで入ることがあった。 私の後ろにまだ弓道歴の浅い、それでいて真面目に練習に来ている人が引いていた。 座射で入るわけであるからそれは一つの儀式なのであるが、その人は飛ばした矢が二本とも的に届かず、 二回…

酔いどれた19歳

先日地元に帰っていて年始だったから行きつけの飲み屋も大抵閉まっていた。 あてどなく近所の人気のない商店街を歩いていると元日の夜にも関わらず開いているBARがあった。 前々から気になっていたが、若干オーセンティックな感じがして少し躊躇していた店だ…