100分の一秒の弓

さいきん道場で練習しているときに、

たまたま他所の道場の人が来ていた。

それは少し変わった人で藪から棒にスマホで射形を撮影して、

ここがよくない、これはいいね、と本人と反省会をする嫌いのある人であった。

例に漏れず私も撮影対象になったわけであるが、

それを道場のいろんな人達にスロー再生で見せて回ってくれた。

若い人が、あっこれはいけないですね、前から気になってたんですが、とビデオを見ながら相槌を打った。

私はそれからかれこれ二週間ほどすこぶる機嫌が悪い。



私たち現代の射士にとって、100分の一秒の世界で評価されるようになる世知辛い世をどう評価すべきか。

これは不満噴出というのもあるが、客観的に見て、たしかにハイスピードカメラで捉えたような瞬間を判定できるようになってしまうと、どうあがいてもその人のアラは見えてしまう。

それは一瞬を細切れに見た映像であるわけだが、

はたして、人間の目で捉えられない一瞬をどう扱ったらいいだろうか。

目を見開いても、動体視力をどんなに鍛えてもそんなものは見えない。

人の目に見えない瞬間というのはすなわち、なかったもの、である。

そこを切り取って後から、あっなるほどとされてもはた迷惑な話である。




私はそのスマホオジサンのことを多少気に入っていたが、

旧帝大を出て定年を迎えた、そこら辺のオジサンよりもすこぶる頭のいい人が、

そんな意味のないことをしたことにがっかりしている。

帰り際、違うオジサンが「あの人は口だけだから」と言った。

それにもうんざりし、同じ穴のムジナの足の引っ張り合いに辟易している。

最近はyoutubeにも動画が多く出て、見る人が好き好きに良いとか悪いとか評価ボタンを押しているが、

許可もなく出されたであろう人たちが品評されるのは気の毒で仕方がない。

それを参考にしようという向きもあるであろうが、

結局見たこともない人の映像を見たところで大して勉強にはならないのである。

自分の目で見たことのない人に衝撃を受けることなどそうそうなく、

ましてや勉強をするためには、常に衝撃的な人の傍にいてやっと得るものがあるかどうかである。

目で見て思う、学ぶ、弓に新しい学習法など存在していない、と考えるがいかがであろう。