トップアスリート

清原が逮捕されて非常に衝撃だった。

物心ついたときに野球中継を見だして、丁度清原がFAで巨人に入ってきた頃だった。

もっとも気がついたら高校生のときで、第一次原政権の代打清原が一番印象に残っているが。

終盤の勝負どころか、勝負どころかよく分からないところで代打で登場し凡打に終わるということはあまりなかった。

フォアボールで出塁して一塁で代走を送られるという二枠使う贅沢な采配で、三振もよくしていたような気もするし、しかし単打を打っても一塁で代走を送られるから結局二枠使うというお茶を濁したようなテレビ的な要素もあった。

とりあえず清原を働かせる場所を見つけるという原の苦心がにじみ出ていた。

テレビ枠が終盤までない場合もある現代ではおそらく8回以降の代打枠では生き残れなかったであろう。

ところでその時代から一塁に立っていた鈴木尚広は地味に凄いと思う。



清原はよくキヨと言われるが、不思議な感じがする。

愛称を苗字の一部から取るということが世間に浸透しているというのはある種特別なことであると思う。

古舘伊知郎をフルというであろうか、言わない。

中村勘九郎をナカというであろうか、言わない。

渡辺淳一をワタというであろうか、言わない。

お笑い芸人の木村純一をキムというであろうか、言うかも。

これはある。

しかしキム兄ということが多い。



しかし正しくは木村祐一である。

苗字に引っ張られると名前があやふやになるようだ。

ん?となるだろう。

清原のファーストネームが和博であるということを知らない人は多いと思う。

実はこれは落合にも言える。


1.和博

2.博和

3.博満


おや、っとつまずくこともあるだろう。

もちろん正解は3番だ。

(ちなみに「下の名前」という表現は日本語としておかしい。苗字-名前だ。姓と名。)



ここまで言って分かったと思うが、本当に凄いアスリートはなぜか苗字でしか認識されない傾向にある。

清原

落合

長嶋

張本

王(は別格として)

一つ飛んで、

野村


ワンテンポ遅れて名前が出てくる。

つまりは苗字を語れば十分な存在がトップアスリートの称号なのである。

それを清原は持っていた。

だからASKAごときと同列に並ぶことに憤りを感じる。

これは田代まさしとも同じだ。

堕ちるというのはそういうことなのだ。

容疑者としてフルネームと呼ばれてしまうことに、色々な人が言っている言葉で「残念」でしかない。