名人
たまたま有名な人と一緒に弓の練習をすることがあった。
ネットではよく見ていた人で、穴が空くほど見ていた人だったけれど、
実際どういう人なんだろうと興味津々だった。
ここで話として面白いのは、豪快な弓を引いて、一つ一つの言葉にものすごい含蓄があって、
ああこれが全国レベルで名が知られる人か、納得である。
といきたいところだが、なんというか全く質素な人とナリで、
それでは弓はどうだろうと興味津々で見ていたが、
たしかにネットで見た通りの弓を引くのだが、こちらも質素というか、
豪快さとか、派手さというのとは無縁の、基本に忠実な、自然に引いて離れて中たる、
かといって流れるような洗練さに裏打ちされたというのでもなく、こういってよければ普通なのだ。
使っている道具も、特注の凝りに凝った誂えの、というのではなく、
その辺の量販品なのだ。
矢筒にいたっては高校生が使うようなビニール製のものである。
一挙手一投足を盗むように見ていたがなんだか徐々に恥ずかしくなってしまった。
これはいったいどういうことなのだろう。
自分の中で勝手に豪快で派手派手なイメージを作り上げていたものだから、
拍子抜けしてしまった。
なにも知らないで話をしていたらきっとこの人が大変な有名人であるとは気づかなかったと思う。
それを見て恥ずかしくなったのはきっと、私が自分で上手な人のイメージ像を難しく奢侈に考えていたからであると思う。
裏を返せば、ああこれでいいのだ、とほっとするようなところがあった。
人に教えられることはあっても、なにも特段教わるようなことも言われなかった今回、
ぽろっとこぼした言葉を聞いたら、
中てにいくと早気になるなあ、と。
当たり前のことを言っていた。
これも勝手に思っていることかもしれないが、
なんだ普通にやったらいいんだと安心。