弓の都々逸

誰が言ったか知らないが三大稽古の弓修行、

 
見取り稽古に数稽古、工夫稽古は最後の砦。
 
数稽古なら馬鹿でもできる、見取り稽古は赤子でも。
 
工夫するには頭を使う、使う頭を間違えりゃ、道と称する下手修行。
 
結婚詐欺では女が泣くが、自分を騙して泣くのは弓。
 
おとがめなしが玉に瑕、下手な弓なら犬も食わない。
 
盛った犬なら上手な弓に、難癖つけに吠え上がる。
 
相手にされないなまくらは、矢場のすみにて弦をば鳴らす。
 
冴えた弓なら窓辺でも耳も視線も集めるが、
 
されどこの手は不器用で、まっすぐ飛ぶ矢は土を打つ。
 
過日は誰かの手の内が手本手本とささやく声に、
 
われのことかと思いきや、どいつの弓矢も土を打つ。
 
どうやらモデルも真似っ子も別け隔てなく下手っぴだ。
 
俺だから下手の弓好き、そろいそろって日陰者。
 
日陰者にゃ流儀があって、下手くそなりに沈黙を、
 
守り互いの領分に、茶々を入れない足軽礼儀。
 
にこにこしながら弓を引き、おためごかしに褒めそやし、
 
そりゃ上辺の間柄、下手くそなりの論理では、
 
弓は静かに引くもんだ、人を見るならこっそりと。
 
俺にゃ中る矢がねえし、明日も安土に射ってみる。
 
後から的をかけてみて、紙をやぶった矢の数で、天狗になって高枕。

野球的雑感

中日の浅尾が引退するらしい。

本当に悔いがない、というヘッドラインでYahooニュースに出ていたが、

その表現にどこか落合の酷使に対する(記者側の)恨み節が感じられて何となく嫌な気分になった。

最後の登板になった先日の巨人戦をたまたま見る機会があって、中日ビハインドの点差が開いた場面でひさしぶりに浅尾を見た。

中継ぎMVPの残像が強くあったから140に満たない速球や、パームボールという謎の遅球を繰り出し、優勝シーズンのなぜ浅尾でなく岩瀬が最後に出るんだと思わせるくらいの活躍ぶりを思い出して、試合の行方はそっちのけで悲しい気分になってジーンときた。

小さなテイクバックから150キロを超えるボールを放っていた浅尾は間違いなく、球団の好き嫌いを別にして、かつてロケットボーイズといわれた五十嵐・石井と同じで、速球派を見る夢を感じさせた。

ストレートという名の魔球、とテレ朝が評した藤川も勿論ここに入るが、

今でも投げ続けている藤川・五十嵐が数値の上では球速に遜色はなくとも、なんとなくかつてのダイナミックさが感じられないことは分かっていてもいわない約束である。

先発型の大谷がバランスブレイカーだったのかもしれないが、160キロにさえ驚かなくなってしまった目の肥えた視聴者である自分がなんとなくにくい。



松坂世代が引退になって、当の本人の松坂は俺はもう少し投げるよ、といったのは何とも憎らしい一流の発言だった。

とくに村田修一BCリーグで、奥さんの故郷だったそうだが栃木の片田舎で引退試合をしたのは、最晩年の江夏豊が愛されつつ記者たちに地方球場で引退の花道を用意されたのに似て、そこが本来本人がいるべき場所でなかったからこそ余計に悲しくコアなファンを惹き付けるものだった。

村田は巨人-横浜戦で引退興行を改めておこなったが、その場のスピーチは堂々たるものであった。

それが栃木を上回るものではないことは誰しも知っていることだろう。

涙は最初に枯れていたのだから。



落合博満が清原と対談していた動画がYouTubeで最近話題となっていたが、

清原に活躍の秘訣を聞かれてさらりと、仕事だから、と答える落合が何とも憎たらしい。

どうして上手に弓を引けるんですか?と聞かれて、仕事だもん、と答えるのと同じで、

答えているようないないような、それにすべてが含まれているような後は察してくれよというような、

一流と言われる人は本音を言わないことを感じさせるテクニックだった。



今年の松坂の登板試合は逐一チェックしているが、

当初は、自分がリアルタイムで見ているときに一球でもいいから松坂が150キロを投げる瞬間を目撃したいという理由からであった。

後から話題になって動画を探すのとは違って、今この瞬間に目撃を共有したいという気持ちがあった。

結局のところそれは叶わず、シーズン終盤のほうがソフトバンク時代の投球フォームに近づいて徐々に調子が悪そうであったが、137〜138キロの動くボールを駆使して打者を打ち取る松坂を見ていると、

片岡を155キロで打ち取った松坂との鮮やかな対比とで、一度死んだ不死鳥は羽ばたくときに違う鳥となることを知らせていた。

それでも球速表示の逐一に目線を集める夢をまだ松坂は持っているのだ。

大谷の初年度にいつ160キロが出るのか周囲がやきもきしていたのと同じで。



巨人の岡本が最年少3割30本100打点を目前として足踏みをしている。

親指への死球の影響もあろうが、試合数が減って日程に調整に余裕があるなか益々打てなくなっている。

終盤の勝負どころで活躍したイメージは原前監督のようにまだない。

数字はきれいに揃えても活躍した印象を残さなかったから村田は追い出されたのであって、

印象とセイバーが違うことはすでに清原が証明している。

ところで村田の引退スピーチで涙ぐんでいたのは坂本だけではなく由伸もそうだった。

世間的に批判されているが、感情を殺すことに必死なのは現役時代から変わらない。

村田ヘッド降板の意見もあるが、寡黙を貫かないと爆発する指揮官の代行係としてドブネズミのチューが機能しているのは容易に想像できる。

本人におよぶ批判を油紙のように吸収できるだけ名参謀なのだ。

油が飽和状態にあるのは成績がものを言うプロ野球の世界だから仕方ない。



最近、松井秀喜が日本のテレビに出ているのは次期監督の布石という見方がある。

ナベツネとの確執があると15年来言われているが、あとは先方が死ねば万事整う、

と思う人もかなり多いと思うが、実際は生活の拠点が日本に移っているだけのことだろう。

家庭人松井のことを誰も彼も知っていないのだ。

If you aren't fluent, America isn't a fun country to live.

金に困っているのでなければ、松坂のように子どもと日本語で話したいというだけのことだろう。



手の内

松井秀喜MLBに移籍した当初、外角の変化球に苦戦した。

外に広いといわれるストライクゾーンとも相まって、日本の投手には見られなかったクセ球に翻弄されていたといわれる。

「それは魔法のような言葉だった」と後に述懐するのは、監督であったヤンキースの名将ジョン・トーリに半歩下がってボールを見極める間を保つよう助言を享け、わずか数センチの空間が松井の世界を変えたからだという。

以来、移籍初年度の松井の成績は徐々に改善していった。



翻って弓道の世界でも、先日こんなことがあった。

私が手の内に苦労しているとたまたま巻藁小屋に居合わせた人が、上押しがきつい、と言った。

自分ではそんなつもりもなかったが、こうですか?と直すと、まだまだ上押しがきついという。

思い切って数ミリ変えてみたら、その通りで、ほんのわずかな違いでしかなかったが何かが改善し、結果的にそれは魔法の言葉だった。

次に的前で引いたときには急に様々なことが改善されて、まるで狐につままれたようであった。

なにかずっと答えが欲しいと迷っている時にこそ、ヒントは突然降ってやってくるようだ。



一分の手間が人を変えるように、私たちはある日なにかが天啓のように空から舞い降りてくることを無意識に期待しているのかもしれない。

もっとも、強く願わないことにはヒントも馬耳東風のきらいがあることはいなめないが、

自分がここが課題と思っていることは、他人から見てどんなに取るに足らない些事であっても、間違いなくその人を活かすも殺すもを自由にする泣き所であることは間違いない。

結局のところ、自分が違うと思うトンチンカンなアドバイスをする人は永遠に外野である。

特にそれは、馬手のことをやかましく言う人にありがちなことであるが、

しかしどんなに狭い心の持ち主にも一滴の雫が入る余地はあって、

それを言い当てる人は、

普段何かを自分に懇切無礼に教えてくれるやかまし屋であることは少なく、

すなわち良い師とは、多弁を弄しない人のことだろうと思う。




一方で、「一人稽古に上達なし」ともいう。

それはあるとき何処かで少しばかり名を売っている人に不意に言われた言葉であったが、誰かの言葉にかき回されるくらいなら自分で自分を救う道を見つけるのが弓道だと思っていた私は、なぜか今でも心の片隅でその言葉を引きずっている。

問題は、たった一人の人間の理論だけを純粋に吸収するような環境がもしあれば、たとえそれが多少おかしくても、享受する側に迷いは生まれない、排他的宗教のような心地よさがあることだろう。

われわれは誰しもが一神教たる弓道の堂宇の下にあるようで、それが多神教的な高峰の群像であることには鈍感である。

(もしかしたら昔から弓道世界は分かち難い宗教戦争の様相を呈していたのかもしれない)

われわれは外に出てこない隠された技術を「門外不出」として神秘的に感じるが、

なんとなればそれは他人の言葉に惑わされない純粋培養であることから、多少の過ちが含まれていても気にせず一定の練度を達成した技術のことなのかもしれない。

古人が出稽古を戒めたり、他流との交流を疎んじたのはこうした理由なのではないだろうか。

このことは、色々な弓道場を見ていると特に傾向として顕著であり、

すなわち同じ寄り合いは同じ的中率であるという、社会学的に非常に興味深い同調的な結果が観察されることにも裏打ちされる。

強い、とは個人のことというより、集団性を前提にしたものである。

個人競技として目される弓道の世界で、実は強い弱いとは地域・学校・グループなどの会派を前提として語られている。

一人稽古に上達なし、というのはもしかしたら斯様な集団性を言っていたのかもしれない。



話を弓道に戻そう。

個人の努力次第でなんともならない世界というのは私は嫌いである。

天才とか天禀という言葉に片付けられて、上手な個人を切り捨てるような衆愚性を感じさせるからだ。

同じ輪の中にあって一人だけ飛び抜けている人物が特別な努力をしていないわけがない。

弓が冴えるのは神の御業によるものだとでも言いたいのだろうか。

それを阿波研造本人が言うなら分からなくもないが、

私たちはある晩ヘリゲルが目撃したという暗中の的や阿波が体験したという大爆射というエピソードを、どこか他人行儀に聞く傾向がある。

その程度のことが自分に起きないはずがないのだ。

結語として前向きに締めておくと、自分が下手だと思っているうちはそれは間違った謙虚さであり、

絶対に他人には言わないにしても、われこそが日の本一の弓執りだと思い続けることだ。

超能力者に自分の心が読み取られるなら話は違ってくるが、

そんなエスパーが世の中に溢れていない現代であるからこそ、

自分の心だけは一人稽古の名人でありたい。

弓に関するエッセイ

よく出入りする弓道場での話。

その場所は、誰でも自由に出入りができる公共の場では「珍しく」オープンな道場であった。

来る人来る人が黙々と自分の弓を引いている。

「公共の」というのは本来出入りがしづらい場である。

よそ者の弓道家が足を踏み入れると、足繁く通う人から好奇の目で見られたり、射法の指導が始まったりする。

誰もがアクセス可能で、料金を払えば平等であるはずの場所で、常連が幅を利かせるような縄張り意識が公共の道場でも生まれる。

(それは、しがらみと言ってもいいかもしれない)

新参者が意を決してよその道場に足を踏み入れたとして、それが弓道場である限り世界中どこに行っても28メートル先に的があることには変わりはないが、お前は誰なのか、どういう弓を引くのか舐めるように見られて、ひどい場合だと先生病の輩に絡まれて自分の射を崩す災難に見舞われる。

弓道は出稽古をすればするほど本来、外圧にさらされるものである。

一見してこうしたことは、武道の礼節からも程遠いように思えるが、

しかしもっと本質的なことは、全国にあまねく存在する公共の弓道場というのは、一つ一つが本来排他的で他所との交流が希薄なムラ社会的な場ということである。

都会であれ、片田舎の弓道場であれ、

弓道場が真の社交場であるなら、そこで出会った人同士は弓を引き終わった後に茶の一杯でも誘い合い本日の射技について検討を重ねるのが成熟した現代のあり方ではないだろうか。

ろくに弓道場以外の付き合いがあるわけではないのに、一歩外に出れば道端でも挨拶しないような関係性であるのに、無理に他人に突っかかる理由などない。




先日、とある公共の道場では控えの座でiPhoneの設定がいかに難しいかを老夫婦が議論していた。

控えの座とは、射場内の射位の立て札から数歩下がった本座のことである。

そこには私と老夫婦の三人しかいなかったが、やんややんやとうるさいこと極まりない。

これを私は弓道デートと呼んでいるが、

男女の付き合いは射場に持ち込んではいけない。

それはその後のティータイムに取っておくべきだ。




武道の礼節を重んじる格式高い弓道の世界にあって、実のところ、本当に弓道場に足を踏み入れたときに、デート気分が抜けない人間が多いことは否めない。

身内の弓道家しかいないと勘違いしているのか、射場で一所懸命にすり足をしていても、休憩所ではドスドスと踵で音を鳴らして歩く称号者を私は何人も知っている。

武道の伝統に則して表現するなら、この人たちはスキだらけである。

デートとなれば否が応でもオモテウラを使い分ける。

普段は着ない取っておきの一張羅、気合の入ったヘアセット、お腹が痛くても絶対に大便はしない。

しかし射場と休憩処でそれだけ態度が違うことは、かっこいい自分とスウェット姿のだらしない日常を同じ敷地内で使い分けていることと全く同じである。

ならば射場でもドスドス歩いてくれたほうがよっぽど嘘くさくなく好感が持てる。





弓道の世界には、表舞台からこぼれおちた残滓のような端くれ弓道家もいる。

しかし残滓のようなダイヤモンドのクズにも本当は光輝く原石がある。

踵で足音を鳴らす人こそ気づかないもので、弓道を知ってしまったが故に、嘘をつけないがあまり、お茶の間の人間と仲良くできない不器用なクズどもの、愛すべきバラバラの共同体である。

路地裏の賢者、隠れた名人、出世を望まないが現状を憂いる若手、本当は自分が世界を変えたいと思うが実力が伴わないが故にくすぶる輩もいて、誰もが知る世界で一身に栄光を集める太陽もあれば、床も枯れた道場の一隅でなお隠しきれない百発百中の恒星もある。

弓は、それが他人を中傷するものでない限り、見る人に同じ輝きを与えるものである。

それが日の本一の大舞台であっても、雨が降れば弓が引けない野立ちの山野であっても、

今の弓に士農工商の別がないことは、先祖が三十三間堂の名人であっても、江戸以来の旧家の出であっても、血ではなく弓がすべてを語るという唯(ただ)一点に終始する。

心に残る弓は、どんなに低段者でも弓以外の日常がどんなに低段者でも否応なく、忘れられないものである。

矢は嘘をつかないし、本人でさえつけるものではない。

よれよれの袴で百発皆中の射手もあれば、上等な縞袴で的に届かないコスプレ人士もいる。

嘘を付けない真実を矢飛びや的中に私たちは見ている。

雑感

ずっと以前から不思議に思っていることがあった。

今日も弓の話である。

もっと引きなさい、会をもて、という人が三人か四人ほどいる。

ところが全員自分が言うことを自分で出来ていない。

奥ゆかしい指導者とは、他人にのたまうことは自身が出来ていると思えることを指導するものである。

人に自らの欠点を求めることをすなわち夢と言う。



しかしながら指導者とは、自分が出来ていないことを人に教えなければならないのが世の常である。

教える側は鳶が鷹を生む心情で技を伝授しているのかもしれない。

畏れ多くもビクが出る人が離れを教え、早気の人間が会をもて、と指導するのが万世一系の現代である。

(早気に関しては、熟する時季の違いによるため人それぞれである)



先日こういうことがあった。

君は強い弓を引いているから四つがけがぴったりだ、という人がいた。

もう三本指に戻して二年が経とうとしている。

初めてその先生に会ったのは四本の時であった。

もっと言うとかけの色も違うのだが、もしかしたら何か夢を見ていたのかも知れない。

人に何かを教わる態度として自戒を込めて言うと、自称「先生」が酔っていないか確かめなかったことを今になって後悔している。

どう考えても相手が酒臭くもなく、何気ない一言をいったわけでもなかったのだが。





どういう立ち位置で接しようか迷っている政治家がいて、

困ったことにその人は過去に弓道経験がある還暦も過ぎた人だった。

一日、子どもに弓を引かせていた場に訪ねて来たことがあった。

つかつかと歩み寄るなり、おそらく当人も覚えていないであろう何気ない一言で、

「いいか?弓は引くんじゃないぞ、押すもんだ」と言った。

女だったら濡れているし、有権者なら投票せざるを得ない。

その政治家はもう弓から離れて四十年が経っている。

弓道界の得失とはそういうことをいうのだと思う。



明治の達人、梅路見鸞は廊下を奔る鼠を木の枝で真っ二つにしたという。

このエピソードをもって彼は剣術にも秀でたマルチな弓道家と理解されるが、

武士が弓も刀も当たり前のように出来た名残りであることを大抵の弓道家は忘却している。

よく弓をしていると言うと、では流鏑馬も出来るのですか?と問われることに似ている。

不勉強な一般人士のほうが、昔ながらの武士の姿をよほど捉えているといるのである。

youtubeと弓

最近、弓の世界でも動画のネット配信に難癖がつけられたらしい。

今日も弓の話である。

通達によると、被写体(射手)の同意なきものに関しては配慮(今風に言うと忖度)をなさい、ということが書いてあるそうだ。

私はまったくもって同意である。

矢をぽとりを落としても、弓を豪快に矢道に放り投げてもその刹那を何年間もネット上に保管させられるのだから堪ったものではない。

ましてや中らなかった瞬間も公開されるのであろう。

弓矢の発展にある種寄与すると信じてそうしているのだろうが、

そうしたら本人も自らの弓矢を公にしないことはおかしい。

まじかで分析・録画・稽古をしているわけであるから下手な訳がない。

という理屈が通達の背景にあるのだろう。

大抵、匿名の有志によるいつでも雲隠れできる公開環境が背景にある。

中った弓ですら普通は納得出来ないのに、ましてや中らなかった自分の姿をさらされるのは骨身にこたえる。

今日日、人前で弓を引くというのはそれほどのデジタル化社会の業を背負わなければならないことらしい。

人の弓を見て上手くなれるような人間ならyoutubeなどなくても上達できるであろう。



著作権の保護期間がたいがいの国では30〜50年と定められているが、

それは、当事者とのわだかまりや係争ごとがなくなる期間がそのくらいであるためである。

今の被写体をいま公開してしまうと、それを臨まぬ今の人間がいい迷惑を被る。

30年も前の映像の公開に文句を言う人間はほとんどおらず、つまりは死人に口なしなのだ。

今私たちがすることは昨日撮られたものを今日公開し、その賛否を問うよりも、

四半世紀前の映像を発掘し、古きを訪ね新しきを知る機会を今に提供することであろう。

メディアの進化につれ短寿命になっていくというデジタル化されたデータを30年伝え抜くことのほうがよっぽど困難であるし今の時代、価値があるように思える。

私は昨日の弓を見たいわけでなく戦前の弓を見てみたいし、

そういう知的好奇心を刺激するのが、表現の自由であろうと思う。

弓射と酒

高校生の頃、出入りの道場で酔客が珍しくなかった。

今日も弓の話である。

公共の弓道場で、一升瓶を持って弓を引いていた面白いおじいさんがいたものである。

酔って若造に講釈を垂れていたのとは違う。

自分の弓を淡々と追求していたのが心に残る。

さながら酔拳の世界であるが、

ある知恵袋に教えられたのは、酔えば癖を忘れ、弓は冴える、ということであった。



酒臭い人は大抵ひどい癖を持っていて、

早気とか送り離れとか不治の病を抱えていた。

ある意味、手段として酒に酔っていたと思う。

残念ながら見てくれに違いは無かったが、

矢飛びも中たりも少しだけ冴える不思議さがあった。

ただ一つ、違うところは表情で、

中ったことを自慢しているような、

つまりは眉一つ動かさない、

泰然自若とした「しまった。」感がないのが良かった。



プロ野球完全試合をした投手で登板前にさんざ酒を飲んだ人がいるが、

ある日に爆発的な活躍をするのは、

ある意味で、Kのように「覚醒剤」を服んでいるからである。

弓で祭り的はやたら中たる人間がいるが、

技巧・名声を博す人を置いて、

けんもほろろな人が金的に一箭中たるのは、いつもと違うスイッチが入るからであろう。




現代の道場の悲哀は、

酔う人の居場所がなくなったことであろう。

弓道などという繊細で苦しいものに落とし所がない。

いま知っている人に苦しんでいる射手がいて、

酒はそれなりに嗜む。

ブレスケアで誤魔化して昇段審査に臨めばいいと思う。

どうせ中らないのだから博打を打ってもバチは当たらない、

それが出来ないのは根性の問題である。

お布施は充分に払っているのだから。