弓射と酒

高校生の頃、出入りの道場で酔客が珍しくなかった。

今日も弓の話である。

公共の弓道場で、一升瓶を持って弓を引いていた面白いおじいさんがいたものである。

酔って若造に講釈を垂れていたのとは違う。

自分の弓を淡々と追求していたのが心に残る。

さながら酔拳の世界であるが、

ある知恵袋に教えられたのは、酔えば癖を忘れ、弓は冴える、ということであった。



酒臭い人は大抵ひどい癖を持っていて、

早気とか送り離れとか不治の病を抱えていた。

ある意味、手段として酒に酔っていたと思う。

残念ながら見てくれに違いは無かったが、

矢飛びも中たりも少しだけ冴える不思議さがあった。

ただ一つ、違うところは表情で、

中ったことを自慢しているような、

つまりは眉一つ動かさない、

泰然自若とした「しまった。」感がないのが良かった。



プロ野球完全試合をした投手で登板前にさんざ酒を飲んだ人がいるが、

ある日に爆発的な活躍をするのは、

ある意味で、Kのように「覚醒剤」を服んでいるからである。

弓で祭り的はやたら中たる人間がいるが、

技巧・名声を博す人を置いて、

けんもほろろな人が金的に一箭中たるのは、いつもと違うスイッチが入るからであろう。




現代の道場の悲哀は、

酔う人の居場所がなくなったことであろう。

弓道などという繊細で苦しいものに落とし所がない。

いま知っている人に苦しんでいる射手がいて、

酒はそれなりに嗜む。

ブレスケアで誤魔化して昇段審査に臨めばいいと思う。

どうせ中らないのだから博打を打ってもバチは当たらない、

それが出来ないのは根性の問題である。

お布施は充分に払っているのだから。