野球的雑感

中日の浅尾が引退するらしい。

本当に悔いがない、というヘッドラインでYahooニュースに出ていたが、

その表現にどこか落合の酷使に対する(記者側の)恨み節が感じられて何となく嫌な気分になった。

最後の登板になった先日の巨人戦をたまたま見る機会があって、中日ビハインドの点差が開いた場面でひさしぶりに浅尾を見た。

中継ぎMVPの残像が強くあったから140に満たない速球や、パームボールという謎の遅球を繰り出し、優勝シーズンのなぜ浅尾でなく岩瀬が最後に出るんだと思わせるくらいの活躍ぶりを思い出して、試合の行方はそっちのけで悲しい気分になってジーンときた。

小さなテイクバックから150キロを超えるボールを放っていた浅尾は間違いなく、球団の好き嫌いを別にして、かつてロケットボーイズといわれた五十嵐・石井と同じで、速球派を見る夢を感じさせた。

ストレートという名の魔球、とテレ朝が評した藤川も勿論ここに入るが、

今でも投げ続けている藤川・五十嵐が数値の上では球速に遜色はなくとも、なんとなくかつてのダイナミックさが感じられないことは分かっていてもいわない約束である。

先発型の大谷がバランスブレイカーだったのかもしれないが、160キロにさえ驚かなくなってしまった目の肥えた視聴者である自分がなんとなくにくい。



松坂世代が引退になって、当の本人の松坂は俺はもう少し投げるよ、といったのは何とも憎らしい一流の発言だった。

とくに村田修一BCリーグで、奥さんの故郷だったそうだが栃木の片田舎で引退試合をしたのは、最晩年の江夏豊が愛されつつ記者たちに地方球場で引退の花道を用意されたのに似て、そこが本来本人がいるべき場所でなかったからこそ余計に悲しくコアなファンを惹き付けるものだった。

村田は巨人-横浜戦で引退興行を改めておこなったが、その場のスピーチは堂々たるものであった。

それが栃木を上回るものではないことは誰しも知っていることだろう。

涙は最初に枯れていたのだから。



落合博満が清原と対談していた動画がYouTubeで最近話題となっていたが、

清原に活躍の秘訣を聞かれてさらりと、仕事だから、と答える落合が何とも憎たらしい。

どうして上手に弓を引けるんですか?と聞かれて、仕事だもん、と答えるのと同じで、

答えているようないないような、それにすべてが含まれているような後は察してくれよというような、

一流と言われる人は本音を言わないことを感じさせるテクニックだった。



今年の松坂の登板試合は逐一チェックしているが、

当初は、自分がリアルタイムで見ているときに一球でもいいから松坂が150キロを投げる瞬間を目撃したいという理由からであった。

後から話題になって動画を探すのとは違って、今この瞬間に目撃を共有したいという気持ちがあった。

結局のところそれは叶わず、シーズン終盤のほうがソフトバンク時代の投球フォームに近づいて徐々に調子が悪そうであったが、137〜138キロの動くボールを駆使して打者を打ち取る松坂を見ていると、

片岡を155キロで打ち取った松坂との鮮やかな対比とで、一度死んだ不死鳥は羽ばたくときに違う鳥となることを知らせていた。

それでも球速表示の逐一に目線を集める夢をまだ松坂は持っているのだ。

大谷の初年度にいつ160キロが出るのか周囲がやきもきしていたのと同じで。



巨人の岡本が最年少3割30本100打点を目前として足踏みをしている。

親指への死球の影響もあろうが、試合数が減って日程に調整に余裕があるなか益々打てなくなっている。

終盤の勝負どころで活躍したイメージは原前監督のようにまだない。

数字はきれいに揃えても活躍した印象を残さなかったから村田は追い出されたのであって、

印象とセイバーが違うことはすでに清原が証明している。

ところで村田の引退スピーチで涙ぐんでいたのは坂本だけではなく由伸もそうだった。

世間的に批判されているが、感情を殺すことに必死なのは現役時代から変わらない。

村田ヘッド降板の意見もあるが、寡黙を貫かないと爆発する指揮官の代行係としてドブネズミのチューが機能しているのは容易に想像できる。

本人におよぶ批判を油紙のように吸収できるだけ名参謀なのだ。

油が飽和状態にあるのは成績がものを言うプロ野球の世界だから仕方ない。



最近、松井秀喜が日本のテレビに出ているのは次期監督の布石という見方がある。

ナベツネとの確執があると15年来言われているが、あとは先方が死ねば万事整う、

と思う人もかなり多いと思うが、実際は生活の拠点が日本に移っているだけのことだろう。

家庭人松井のことを誰も彼も知っていないのだ。

If you aren't fluent, America isn't a fun country to live.

金に困っているのでなければ、松坂のように子どもと日本語で話したいというだけのことだろう。