youtubeと弓
最近、弓の世界でも動画のネット配信に難癖がつけられたらしい。
今日も弓の話である。
通達によると、被写体(射手)の同意なきものに関しては配慮(今風に言うと忖度)をなさい、ということが書いてあるそうだ。
私はまったくもって同意である。
矢をぽとりを落としても、弓を豪快に矢道に放り投げてもその刹那を何年間もネット上に保管させられるのだから堪ったものではない。
ましてや中らなかった瞬間も公開されるのであろう。
弓矢の発展にある種寄与すると信じてそうしているのだろうが、
そうしたら本人も自らの弓矢を公にしないことはおかしい。
まじかで分析・録画・稽古をしているわけであるから下手な訳がない。
という理屈が通達の背景にあるのだろう。
大抵、匿名の有志によるいつでも雲隠れできる公開環境が背景にある。
中った弓ですら普通は納得出来ないのに、ましてや中らなかった自分の姿をさらされるのは骨身にこたえる。
今日日、人前で弓を引くというのはそれほどのデジタル化社会の業を背負わなければならないことらしい。
人の弓を見て上手くなれるような人間ならyoutubeなどなくても上達できるであろう。
著作権の保護期間がたいがいの国では30〜50年と定められているが、
それは、当事者とのわだかまりや係争ごとがなくなる期間がそのくらいであるためである。
今の被写体をいま公開してしまうと、それを臨まぬ今の人間がいい迷惑を被る。
30年も前の映像の公開に文句を言う人間はほとんどおらず、つまりは死人に口なしなのだ。
今私たちがすることは昨日撮られたものを今日公開し、その賛否を問うよりも、
四半世紀前の映像を発掘し、古きを訪ね新しきを知る機会を今に提供することであろう。
メディアの進化につれ短寿命になっていくというデジタル化されたデータを30年伝え抜くことのほうがよっぽど困難であるし今の時代、価値があるように思える。
私は昨日の弓を見たいわけでなく戦前の弓を見てみたいし、
そういう知的好奇心を刺激するのが、表現の自由であろうと思う。