訃報に接して

はじめに断っておくけど、身内が死んだわけではない。

加藤治子さんが逝去したというニュースを聞いて色々考えていた。

近年誰かが死んで一番衝撃的だったのは1位丸谷才一、2位高峰秀子だった。

これは息が止まるほどの衝撃だった。

丸谷才一はエッセイ集を読んでいて自分の糧になったこと(主に文章面で)、

高峰秀子二十四の瞳の「大石小石」と子どもに言われながら活き活きと先生を演じた役回りが好きだった。

なにより美人だしね。

丸谷才一山形県の出身であったということが好感の対象だった。

というのはうちの母親の実家が山形で、私も山形で幼少のひとときを過ごしたからである。

この時のことは昨日のことのようにいまだに思い出せる。

それだけ忘れたくない大切なことだからだ。



加藤さんの話に戻ると、古畑任三郎の犯人役が最も印象に残っている。

仲の悪い妹を殺してしまう作家を演じていたのだ。

古畑は現場に入って、どうやって犯人が被害者を殺害したのか延々と悩む回である。

ネタばらしをすると、いつも貯めていた小銭貯金を満載に詰め込んだストッキングで殴打した、

というオチなのだが、犯行を終えて銀行に全て預けてしまうことで証拠隠滅を図る。

しかし実は古畑は小銭を差し止めておいて、

「鑑識に回せば血液反応が出るでしょうね」と言って犯人を完落ちさせるストーリーである。



私が見たことのある加藤治子さんの映像で最も印象に残っているのはそのドラマだった。

三谷幸喜がどうこうという話ではない。

その役回りを極めて上品に演じ、いかにも作家然としてそして神経質に、甲高く刑事を翻弄するのがピタリの姿だった。



人が亡くなる、というのは前向きな話ではない。

死んでしまうことによって取り返しがつかないことの方が多いからである。

でも加藤さんの訃報に接して、ああ、古畑任三郎に出ていた人だと思った時、

女優さんとしての演技が万遍なく記憶の中に広がった。

人の死とはデリケートな話題ではあるけれど、テレビで顔写真が流されて、あっこれはあの人だ、

となったときに、そこで会ったことも話したことない人にも関わらず会話が広がるっていうのは、

ある意味幸せであると思う。