高峰秀子

XJapanのHideが死んだとき、コピーバンドをやっていた友達のお兄さんは、

ショックで二三日部屋から出てこなかったらしい。

家族でも知り合いでもない人が死んで何がそんなにショックなのか、

小学五年生の心では皆目見当もつかなかった。

一九歳でグレゴリー・ペックの死に直面したとき、

なんとなく悲しいなあという感情があった。

新宿の高島屋の「ローマの休日」追悼映画会に二度行ったけど、

悲しみよりもジョー・ブラッドリーのかっこよさのほうに夢中だったのかもしれない。

人は二十歳までみな詩人である、と三島由紀夫は言ったらしいが、

多感で感情豊かな子どもにとって死はもっとも共感不能なものだった。




下宿のテレビをなんとなく点けた大晦日高峰秀子の訃報に接したとき、

衝撃は今までで最大のリアリティーがあった。

他人の死で、しかも「二十四の瞳」しか見たことない自分が窓をあけて暗い空を見上げてしまった。

三〇歳のとき、二〇歳から五〇歳までの女教師を演じた高峰秀子は、

老いも若さもウソくささのないリアリティーに満ちていた。

本当にぴちぴちのはたちに見えたし、老いた姿は目を背けたくなるほどリアルだった。

木下惠介の演出がどんなにお涙頂戴でも、こどもの泣き声がすがすがしい素人さにあふれていても、

スクリーンの中の大石先生は本当にいてほしかった。




高峰秀子のエッセイに戦争中の手紙の話があった。

日本国 高峰秀子さま、と宛名を書けば外地でも内地でもかまわず本人のもとにとどいたらしい。

戦死した戦友が肌身離さずもっていたというブロマイドが送られてきたり、

あなたの写真を抱いて突撃するといった手紙がおおくて、

悪意はないのだろうけど本人はまいってしまったという話だった。

ローレンス・スターンならページを真っ黒に塗りつぶして弔意をあらわすのだろうけど、

高峰秀子のエッセイを真っ黒にしても、このブログの背景を真っ黒にしてみても、

とてもウソくさく思える。

喪に服して英霊に礼すべしという状況でもないし、一時代を築いたスーパースターの死といっても、

マイケル・ジャクソンがもう一度死んだわけではない。

でも、そっといなくなってしまったようで悲しい。




大人になって困惑するのは、様々なことに耐性を身につけてきたつもりでいて、

未知の衝撃に出くわすことである。

この場合、未知といっても大抵フレッシュなものではない。

死とか、結婚とか、台所の出火とか、知っているけどいままで身近で起きなかった事である。

知っているようでしらなかったことを前にして、はじめてどうするか考えてみる。

でも涌きでる冒険心よりは、腹の奥から出るため息が勝ってしまう。

苦難を前にして、口が乾いて舌打ちもおっくうになる。

喜びにしびれるより、幸せの賞味期限をおそれたりする。

悲しみも体のどこかにひっかかったまま洗い流されないでいる。

自分にも人の死を悼むことができるんだと、明るい顔をするよりも、

今は、悲しみのルーティンワークがどこかで回りつづけているような顔をしている。