風采

「そのたたずまいから三十歳くらいだと思っていました。」

人からそう言われ、自分がどういう風采の人間であるのか不明瞭になる。

なるほど、自分が日々どんなことをしているか、

それは自分自身が一番良く預かる知るところ。

しかし、自分がどういふ人間か、

それを一番理解しているのは自分である、というのは強い自惚れの所産たろうか。




問題は、その人がたち振る舞いによって私の年輪を慮ろうとした点である。

決して個人の身体的特徴、容姿、外見、だけに依拠した判断ではなく、

より深奥に存するものに視点がすこしく向けられたわけである。

だがそれに何と返答すればよいものか。




深奥を探求した結果得られた数値が正しいものであると限らず、

不可思議なのは、その誤りの蓋然性に気づこうとしない心である。

アンチテーゼをかかげればよろしいのにも関わらず、なぜそうしないか。

目前にある虚実を認識できず、これを見過ごしてしまうシュールさ。

おそらくそれは、朝起きると自分が奇怪な虫に変身していてもなお、

それにも気付かずに無頓着として生きていくこと同様に超現実なことである。