あの日の矢飛び
今年弓を再開してから良く昔の矢飛びを思い出す
一燈斎を引いていた高校生の頃、一度だけ的前で神速の矢を飛ばしたことがある。
外れたけどね。
裏ぞりの無いヘタった弓に羽もづるづるの2015ジュラ矢をつがえ、
放たれた矢はまだ離れの感触を残しているうちに安土にとどいた。
まっすぐな飛びはない。的に襲いかかるグオーという軌道をえがく。
あれだけの矢を飛ばせたのが今でも不思議。
弓は23キロだけど、いつも18キロくらいの矢飛びしか出なかった。
それが30キロほどの矢勢である。
すごい
やればできるじゃん、おれ
とおもったらいつ間にか高校を卒業していた。
弓の思い出は一瞬、だけど瞬間はいつまでも目に焼き付く。
不思議だけど、弓にまつわる思い出で一番よく覚えているのは矢飛びなんだよね。
何万本と引いた中でも際立ったものはちょこちょこ思い出せる。
思い出は美化されあるいは高速化され、都合の悪いことは滅却するのかもしれない。
(外した矢、はけた矢の映像も思い出せるけど、なぜか三人称視点である。)
ただ一燈斎を執ったあのときは、自らの目で弓の深奥をのぞいた気がする。
その後はしばらくぽかんとしていた。
だから事後にぽーとする女の子の気持ち、わかる、わかるよー
非日常の体験だからね。
黙っててもわかるで、俺もそういう経験あるねん
あたらしい光景で脳内映像を更新するのだ。
弓を引くのにそれだけの理由があれば充分。
弓引くの楽しいのは矢が飛ぶからだし、
それ以上でもそれ以下でもよな。
あの日の矢飛びを思い出し、今日も弓を引く。