戦後60年

8月15日は終戦記念日

何戦争の記念日かは、言わなくても誰もが分かる

終戦:それは戦いが終わりを告げたということ

爾来、日本は過去60年間一度も戦争をしていない、ということも示している

そして、日本語の難しいところは「記念」と一言にいっても、様々な意味を示唆するところだ

この言葉には、お祝いをするような印象もあるだろう

しかしこれは戦争が終わったことを祝うための日ではない

これは日本が太平洋で起した戦争が、終結したことを忘れないための日である






「勝てば官軍、負ければ賊軍」

私はこの言葉が嫌いだが、非常に的を得た表現だと思う

いかに日本人の魂が強かろうが、零戦がどんなに優れた戦闘機であったとしても、

破れた後には夢と消えるのである。







ただ一つ夢と跡とならずに、今でも残る事実がある。

それは、私たちは60年前と変わらぬ血を持つ日本人だということだ。

「旧日本軍」や「軍国主義」は遠くの時代の出来事か。

そうではない。それは過去を顧みたくない心が生み出す忌避の言葉だ。

日本人がしたことは今でも昔でも、不可分のものなのである。

過去の過ちを繰り返さない、それは良い。

しかしそれは、顧みること(過去を振り返ること)によって成り得るのである。






私の部屋に飾ってある日の丸の見て、私を共産主義者と呼んだ人がいる。

しかし、あの白地に塗られた赤い丸は、労働者の色と同じであり趣を異にする。

それは煮えたぎる血でもなければ、燃える闘志の色でもない。

あれは太陽である。

日本がある極東は、まさに太陽が出る場所ではないか。

そして、その国旗に太陽が描かれていても、何も不思議なことはない。

日の丸を飾ることは色眼鏡で見られ、スウェーデンの国旗を高々と掲揚することに

なんら疑問を呈さないのは、ひどく矛盾したことである。







日の丸、それは見る人より、血塗られた歴史を持つものになるのだろうか。

もしかすると、国旗を変えたいと思う人達もいるかもしれない。

しかしそれは、あまりに弱い。

なぜなら、我々は日の丸に抱く様々な負の思いを、克服しなくてはならないからだ。

日本人は、黄色でもオレンジでもなく、太陽を赤で描いた。

それは決して血の色ではない。






私がイギリスの大英帝国戦争博物館(Imperial War Museum)に行ったときのことだ。

その4階建ての巨大な建物の地下に、第二次世界大戦のコーナーがあった。

しかし私が見たPacific War(太平洋戦争)のコーナーは、

Blitzkrieg(ドイツの電撃作戦)の展示の、半分の大きさもなかった。

その展示の小ささに、私は心を締め付けられるような気分になった。

大大的に飾って欲しいわけではない。

しかしそれは、心の中でのあの戦争と、まるで反比例しているようであった。


私が今までストックホルムで過ごしてきた中で、ひとつ感じたことがある。

私の心の中での太平洋戦争は、とても大きなものである。

「1945」という数字を聞くと、それが関係ないことであれ、反射的に「終戦の年」と連想する。

だが欧州において、それは同じではない。

あの展示の大きさは、ヨーロッパ人の太平洋戦争に対する意識を反映している。

彼らがそれに無知だ、とは言わない。

しかし、彼らがあの戦争に抱くものは、私ほどには多くない。







日本は60年前と今では大きく異なると、日本はもう戦争をしない平和の国だと、

憲法9条は日本を守っているとさえ言っても、

その意味を海の外でくみ取ってくれる人は、いかに少ないことか。

そして人間はそう簡単には変わらないし、過去に起こったことはPlastic Surgeryのように

簡単には整形出来ないということも、私は同時に知っている。