捕まって。。。
http://www.huffingtonpost.com/2015/04/12/tetsuya-fukuda-train-masturbator_n_7049410.html
こういう場合、日本のマスコミは婉曲的に物事を伝えようとする。
しかしハフポストの見出しが以下の通り直球で物事を伝えているのは、
ジャーナリズムの精神というよりも英語ではストレート勝負をしないと読者に上手に伝わらないためである。
Accused Serial Train Masturbator Tetsuya Fukuda Admits
Harassing More Than 100 Women
という見出しなのだが、直訳すると、
「連続電車内自慰行為犯、福田哲也100人以上の女性への迷惑行為を認める」
「連続電車内自慰行為犯」である。
冗談めかして聞こえるだろうが、Serial Train Masturbatorはそう訳さざるを得ない。
例えば連続殺人犯をSerial Killerという。
シリアルナンバーなどと言うように、”Serial”というのはひと続きの何かを示す言葉である。
トレインマスターベーターは、詩的に言えば〈電車の中のオナニスト〉だが、
これに「起訴された」を意味するAccusedが付いてしまうので、オナニストは自慰行為犯へと堕する。
しかしこれは裏を返せば、時として日本語でぼかされている部分が英語報道ではハッキリと見えてくることでもある。
日本の報道では「体液が…」とか「女性に密着すると興奮した…」とか曖昧にモザイクがかった表現になる一方、
ハフポストが明確に書いているのは、
犯人は服のポケットに穴を開けて「自分自身に触れ」女性に精液を発射した、
と容赦のない無修正報道である。
「自分自身に触れ」(touch himself)という辺りはさすがに自主規制であるが、
しかし結局その続きに「射精をした」と書かれているのだから、ナニを触っていたのかは一目瞭然である。
だいぶ前、営団地下鉄の駅のホームで自慰に耽るサラリーマンを見たことがある。
「いいぞ」「いいぞ」と自分を励ましながら、自身を慰めていた異様な光景を思い出す。
しかし彼のそれが実際まろび出ていたわけではなく、
ルーズなスラックスの股間部が激しく動いていたので、
やはりかの自慰行為者もポケットの内側に開けた専用の横穴からしごいていたのだと思う。
しかもあれは左手であった。
隣にいた母娘が凍りついていたのを今でも覚えている。
かれこれ9年ほど前の話だが、もしかしたらあの行為者が今回の犯人なのかも。
今となっては確認する手立てはないが、もし犯人がサウスポーなら同一人物である可能性はぐんと上がるだろう。
ところで、このハフポストの記事には関連ニュースが書かれており、
いわく、この珍事件で犯人は直接女性に射精したのではなく女性のコーヒーに射精したため、
たしかにそれを彼女が飲んだからといって、直接ぶっかけたことにはならず、
重犯罪を構成する要件にはあたらないという珍妙な判決が下されたというものである。
同僚にぶっかけるのと同僚にぶっかけたコーヒーを飲ませるのとでは、むしろ後者のほうが悪質だが、
結局やった側の男は裁判で無罪になったらしい。
そうだ、じゃあ私もミネソタ州に住もうか、
と思ってももう遅い。
体液などの不純物を混ぜる行為も等しく罪に問われるという法案が立法されるそうである。
附言しておくと、
海を隔てて、まこと五十歩百歩とはこのことである。
私達が得ているニュースはそれがデリケートな話題である限り、どのニュース番組を見てもどの新聞を読んでも、結局のところ通り一遍の同じ言葉でしか表現されていない。
特にこうした性犯罪に関する話題は「下世話なもの」として忌避され曖昧にされ、その詳細については週刊誌や夕刊のタブロイド紙が補完することになるが、性関連のニュースは卑猥な文脈に回収され、会社帰りのサラリーマンが好むノンフィクション官能小説として再生産されてしまう傾向にある。
全国ニュースで「体液」の代わりに「精液」と言ってしまえばきっとお茶の間が凍りつくこと請け合いである。
だからといって「言わなくても諸君は分かっているよな?」という態度でテレビや新聞報道がなされてしまうとすると、視聴者や読者の側からしたら結局何が起きたのか杳として知れず、最終的には文春や新潮を読むしかなくなるし、むしろエグいまでの描写を提供してみせることで週刊誌の存在は成り立っているという感じすら受ける。
あまりに婉曲的だと、都心を横断する満員電車の中で自慰に耽り、
服に開けた穴から女性めがけて射精するという犯人の異常さも伝わらず、
ただ迷惑行為をしただけの事件として多くの人は受け流してしまうのではないだろうか。
とでも言いたかったのかもしれないが、婉曲的なニュースだと分からないことが多いし、
本当に問題なのは、犯人が江戸川住みの四十路の契約社員であったかどうかではない。
それはこの男に限らないし、あたかもそんな人物だから犯行に及んだのだと読み手側は思いがちだが、
一番に伝えるべきは、「自分自身」を出したり閉まったりできるギミックを服に仕込み、同じ電車に居合わせた女性に射精することを4年続けることの特異さである。
曖昧な報じられ方がされるなかで私達は、
こうした犯人は非正規雇用であることが多いとか、フリーターが多いとか、ネット依存が多いとか思ってはいないだろうか。
それらは結局、事実の克明な描写が放棄された中で浮かび上がってきた、あくまでも報道可能なラベルであるに過ぎない。
しかしそのような報道を受け入れていると、なるほど、四十路、江戸川の契約社員であれば電車で射精するのも分かる、と無批判で飲み込んでしまうことになる。
それは、子供の頃テレビで自分と同姓同名の人物が逮捕されたと報じられでもしたら、翌日学校で始終からかわれたのと同じ類の話である。
全く関係のないことを結びつけ、結びつけた方を槍玉に挙げることで、
実際のところ元は何が問題であったのかを分からなくしてしまうのである。
ミスリードあるいは印象操作というのはそういうことであると思う。