メンヘラとは

最近メンヘラってよく言いますよね。

メンタルヘルスをやんでいる人のことらしい。

この不確実性の時代に生きていると、たとえば明日テロで死ぬかも知れない、

歩道を歩いているのに自動車がつっこんできて死ぬかも知れない、とか色々想像することがある。

これは子どもの頃にした妄想によく似ている。

鍵っ子だった私は家でよく留守番をして夕方過ぎの親の帰りを待っていた。

それまではご飯もないから、一人よくテレビゲームをしていた。

そしてよく「もしかしたら母親は今日トラックに轢かれて死んでしまうのではないか」

とか、何の根拠もなく「もう親に捨てられたのではないか」という妄想に急に駆られた。

しかも他愛のない白昼夢ではなく、考えれば考えるほどそれはリアリティーを帯びてくるのだ。

いつしかテレビゲームは面白くなく無意識にテレビを見つめて指を動かしているのと変わらなくなる。

一人泣きそうになって小さくなっていると玄関がガラガラと開く音がして親が帰宅し安堵する。

寂しくなると、ガラガラという音が聞こえるのを息を殺して待っていた。

そんな夕暮れが何度もあったように思う。



話はメンヘラに戻るが、

それは親の帰宅のような安堵させる現象がおとずれない人のことなのではないか。

常に何かしらの想像や妄想の産物にがんじがらめにされていて、

自分を解放してくれるものに出会わないのではないだろうか。

夜中の二時に泣きながら電話をかけてくる人。

なぜ泣いているのかはわからない。

三時間に一度メールをしないと、泣きながら電話をかけてくる人。

あれは放置しすぎたんだと思う。

デートの帰りに家まで送ったら、泣きながら追いかけてくる人。

やっぱり家に上がってお茶をごちそうになるべきだったのだろうか。

セックスの次の日疲れて泥のように寝て起きたら、着信履歴が埋まるほど電話をかけてきた人。

今までで一番ぞっとした。

セフレが何人もいるにも関わらず、とりあえずセックスをしようとする人。

飽くことを知らないことと性欲が強いのはまた別物である。



男女がらみでもうしわけないが、こうした話に共通するのは、

みんな寂しがりやだということである。

もっと正確に言うと、解消されない構造不明の不安を抱えている人だとおもう。

もし、夜中二時の電話に朝まで付き合っても、三時間に一度きちんとメールをしても、

家に上がってお茶+アルファがあっても、寝ずに電話に出ていたとしても、

あのときセックスをしていても、結局その人たちの病的な不安感は解消されなかったと思う。

「えっ!?」という行動の理由はわからず仕舞いであるが、

みんな玄関がガラガラと開く音が聞こえるのを待っていたんだとおもう。

あの鍵っ子だった日に、もし本当にガラガラという音が聞こえてこなかったら、

心はぽっかり穴が開いたまま腐っていっただろうし、

それを思い出すたびに大声を上げて道路を全力で走る大人になっていたかも知れない。



メンヘラと呼ばれる人は今でもその音が鳴るのをまっているように思う。

いい歳して夜泣きしたり、糜爛した性生活を送っている人たちとの不安感をつぶさに見ていると、

みんな自分の妄想の方にリアリティーを見いだしてしまっている気がする。

夜中の二時に私が浮気をしているとか、

三時間の間にホテルで休憩しているに違いないとか、

これから違う女に会いに行くのだろうかとか、

おはようのメール・電話連絡がないから私は捨てられたとか、

今日はこの人と寝ないと気が済まないだとか。

ほんとにどうでもいい些末なことが衝動的な行動の源泉にある。

もし想像したことがリアルではなく、単なる思い過ごしだったことが証明されても、

そのときはいいとして、たぶんあの人らの不安はすぐぶり返してしまうんだと思うし、

実際そうだった。

それって不思議よね。

多分、自分が描いたストーリーに何らかの形で真実性が付与できてしまうんだと思う。

筆者の人生経験に根ざしてた隙のないフィクションと、全くの空想世界のファンタジーとは別だけど、

後者であっても「ありえそう」と思うように変化してしまっているのがメンヘラの心なんだと思う。

その人の原体験になにがあったかは知らないけど、

きっとあり得ないはずの出来事が実際に一つ二つあったせいで、

いつまでも精神の放浪を続けてしまうのだろう。