軍艦島弓道場

このあいだ帰省したときに高校の頃もらった古い弓道誌を読み返していた。

その頃はたいして興味がわかなかったが今になるとおもしろいもので、

実家からまとめて宅急便で送ってもらった。

昭和46年10月号の地連のたよりに軍艦島弓道場の報告がある。

「東支那海より打寄する怒濤は岸壁に突きあたり、

数十米の高波は飛爆(注:飛瀑の誤りか)となり、風に飛ばされて海抜四十二米の島を越える。」

文学調の説明書きのあとには、

「ここに弓道場があり、十階建巨大なるアパートの屋上に造られている。

弓道会員四十余名、役場員、会社員、高中小学校の先生と生徒等みなここに集り、

支那海を臨んで豪快な射の醍醐味にひたっている。」

文責は清田範士とある。

(清田貞美。1899~1981年。生弓会および弓道連盟理事。武徳会5段、68年に範士となる。長崎医科大、長崎高等女学校の弓道師範をつとめる。)

昭和46年は1971年であるから、文章は軍艦島の炭鉱が閉められる2年前にあたる。

当時の島民数が3000ほどであるから、約40名の会員数というのは割合多いだろう。

ネット上で写真を渉猟すると何枚か弓道場の写真を見つけることが出来た。

興味があれば探してみても良いだろう。