偶感

ひさびさ弓の話。

今度の試合に備えて猛烈に練習しすぎて疲れが取れないまさかの衰え。

先週一日150~200射を敢行したらそのアフターで今週にまで疲れが残った。

なんか腹が浮いてUPUPした引き方になる。

素人じゃあるまいし、かっこうわるい。

さいきんあんまり練習してなかったから、どうにも強い弓も引けないし、疲れも残るし、

お肌も荒れるし、女も抱けない、弓引かないといいことないね。

今日も練習したら四矢残念出してかなり凹んだ。

おいおい、残念出したのいつ以来だよ、って自分を慰めたが、

よく考えたら四連失中はよくある気もする。

でもギア上げて引いて全部外すのはまずありえないから今思い出しても悔しいわ。

その一回の皆抜けで、たとえトータルでその日九割中ったとしても、

やっちまった感が半端ないのが弓の恐ろしいところだぜ。





この間40キロを引く人の話を聞いたけど、

弓力に見合う矢がなかなかないらしく、巻き藁矢の太い竹を的前用に矯めたものを使うらしい。

はなれでゆるんだりすると矢の矧ぎ糸の辺りが弓とぶつかるけど、

その人の場合は、篦のその辺がべこっと凹むらしい。

強弓っておそろしいや。

三十キロに満たない弓でがんがん矢を飛ばしていい気になってる自分が恥ずかしいぜ。

バイク乗りの友達が750ccで轟音ふかして交差点でドヤ顔してたら、

1300ccのバイクがとなりに並んで萎縮したって話を思い出した。

虎だと思っていたオレは猫だったってことで、

それらは本質的にはおなじことだと思う。




今日は道場でめずらしく弓談義をした。

戦前の先生たちの射影を拝見すると、

だいたい肘力の低さが今と全然違うのが気になるって話になったけど、

しかしまあ、強い弓は小さく引いて小さくはなすのが基本でしょ。

手の長い人は引尺を短くとったんだからそりゃ今日日の射とは異なるのは当然よ。

古弓が軒並並寸なのはそういうことでしょ。

なんだけど、どうやって現代のコンセプトそのままに弓力を上げるのか考えちゃうのが、

オレのいけないところなんだろうな。

射法じゃなく、弓も矢もかけも変化しないとなかなか難しいや。

そりゃ誰もが一日300射稽古するわけではないから、

お勤めして、子育てして、老齢の親を養っていくなかで、弓も引いたら、

結局何かを捨象していかないとしゃーないでしょ。

その矢面に立ったのは第一に弓力にだとおれはずっと思ってるよ。

そうではなく、彼女を放置プレーして、避妊し続け、親不孝ニートのまま、がんがん弓引くか。

どちらかというと後者が魅力的でも、若い人間にとってそれは常識と酔狂の境だな。

暇もお金もある有閑階級の弓引きに老齢が多いのはごめんやけど悲しいかな。

閑水奥村久忠先生はお給金を20円もらっていたらしい。

さあ、現在の貨幣だと20~40万くらいでしょうか。

けっして多くはないけど、

それだけのご褒美があると思うとまた弓に対する今の人も考えももっと愚直になるだろうさ。