杉山重與

手元にあった塗り弓の握りをはがしていたら案の定葉書がアンコに使われていた。

送り主は杉山重與(すぎやましげとも)とある。

小野﨑紀男さんの『弓道人名大事典』によると、杉山重與は明治36(1903)年に生まれ、

台東区に住み、佐野新五郎(江戸の弓師)に師事し名弓を造り、昭和57(1982)年没、とある。

佐野は松永重光(重児の父)の師でもある。

『肥後三郎 弓に生きる』には佐野の工房には18人の弟子がいたとあり、

(重光は国沢礼三郎・吉田音吉につづく三番弟子とあるから)

杉山は重光の弟弟子にあたるようだ。

アンコの手紙からだけなのだ銘の確たることはわからない。

まだ現役の弓だが、裏反りは10センチほど、およそ五ぶ八くらいの厚みはあるがいかんせん矢勢がなく、

手元にバネ計りはないがおそらく18キロ弱の弓力だと思う。

千段巻きの弓で銘がありそうな場所にも漆が塗ってあるから削るのが勿体ない。

弦を張ればあら不思議、弦二本ほど胴が入ったきれいな成り。

時代物にしては手のかからない優等生の成りである。

手紙の消印を見れば昭和10(1935)年8月7日。

これは永田鉄山暗殺の5日前にあたる。