あの日の日記

さいきんあんまり物覚えがよくなくなった。

昔のほうがもっと昔のことを思い出せた気がする。

なんというか記憶を呼び起こす能力が低下した。

過去のことを顧みるためパソコンを漁っていたら、何年も前の日記が出てきた。

誤字脱字もご愛敬、改行は読者フレンドリーで適宜行い、コピペ。

日付は二〇〇三年の六月二七日である。


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いま風呂に入っていたら急に俺が小学校の時のことを思い出した。

正確には小学校1年生のときのこと。まだ親父も生きてて家を新築中の時のことだった…

家が完成するまで約3月間俺たち一家四人は近所のボロアパートに住んでいた。

いまはもうそのアパートは取り壊されて無くなってしまったが、六畳一間のトイレつき風呂無し築三十年の和式建築という下宿学生が泊まるような立派なアパート(?)だった…

悲しい話だが、あの時はまだ俺が親父のことを親父っていう事すら分からなかった…

俺の一家は俺が物心ついたときから仲が悪く、俺と姉は母親に付いていて生まれた時から四歳と364日まで山形に住んでいた。

たまに親父が山形まで電車に乗ってくるのだがまだ小さかった俺は親父が家に入ってきたときこれが親父だとは分からなかった。

生まれたときからその時まで親父の顔は知らなかった。

正確には親父だと気付くにはもうすこし時間が掛かった。親の顔すら分からないなんて悲しい話だが…




俺が5歳の誕生日の時に丁度いま住んでるところにきた。

あの日の事はいまでも覚えている、到着したのが夜の十時を過ぎていてヒドク雨が強かった…

びしょ濡れになっておばあちゃんの家に着くとおじと一緒にささやかながら誕生日を祝ってくれた。

でも俺は知らない人に囲まれて不安でしょうがなかった、それが親父であり、おばあちゃんであり、おじであっても、例え「血のつながりがある」って教えられても俺は不安だったろう。

正直、泣き出したくなった…その日が1990年の3月28日。いまから十三年も前の話だ…




でもそれをふと思い出して感じたのは、それがまるで昨日とは言わないまでもつい最近の出来事も気がしてならない。

よく年取ると「お前が生まれたのはつい昨日の事のようだがもうこんなにおっきくなったのか」とかおじいちゃん、おばあちゃんが言うけど、あれってのはさ、何気なく日々を過ごしてるからそういう風に感じるんじゃないかな?

ちょっと無礼だけど、俺はそうじゃないかなって思う。




十三年も前の事が最近のように感じるってのはちょっと異常じゃん?

やっぱり最近時間の流れが早く感じるんだ。これは年を重ねる後とになっていく現象のようにいわれてるけど、俺はこんなのご免だよ。

こんなに早く時間が過ぎていくのは嫌なんだ…

どうすれば自分の時間を濃く生きられるのか?

俺には何かが足りない…

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コピペ了




若いね(ニヤリ)

自分に子どもができて、その日記をのぞき込む心持ち。

当時は大学入りたてでがむしゃらに勉強したりジムかよってた気がする。

日記は記憶の忘却防止装置みたいなもんだね。

やっぱりあの頃の方が物覚えはよかった気がする。

父親の顔よく知らなかったとか、

読み返して、あーたしかにそうだった、って思うことがおおいわ。

この日記を書いた頃は自分が何かに接したときの不安感までよく覚えていたのにね。

きっと自分に正直に生きていないと忘れること、無意識に忘れたいことも多くなるんだと思う。




しっかし文章読みかえすと、基本的なメンタリティーはまるで変わっていないような。。。

「どうすれば自分の時間を濃く生きられるのか?」だって??

今でも同じこと考えとるがなw

何かを身につけ、何かができるようになったとしても、はたして一歩も同じところから動いていない気もする。

でも、あの日から八年、俺もちょっとは成長したのかな。

うーん。

やっぱり日記読み返すと、なんとなく気恥ずかしい、って気持ちが勝ってるわw