羽津半兵衛

さいきん羽津半兵衛を引いていない。

並寸五分六厘、たぶん18キロくらい。

上の関板と弦がぴったんこなせいか、びーん、という音がする。

あれに似てるな、

駄菓子屋で売ってるバネ式の鉄砲の音。

ちょっとでも放置しておくと裏ぞりが半端無いが、

しかし20センチまで出ると、あげあげな反りがぴたりととまる。

美しいがぎらついた反り。

「早くわたしを引いて」と語りかけてくる

下腹部のあたりが膨張しておもわず腰がひけた、ような成りではなく、

何年も放置されていたが弦をはったらきれいな舟底型となった。

さすがの職人技。

このまえ買った無銘の寸詰まりは弦をはずすと、びんびんな反りがどこまでも天を突く。

エロス。

だが姫反ぺったんこ、

矢所定まらず。

このペチャパイ娘め

銘は業(わざ)を証明する




羽津半兵衛は京都高辻麩屋町に工房をかまえていた。

十二代で絶えてしまったが昭和の末ごろまで店を出していたようだ。

竹弓専門店ではなく、人に聞く話だと弓具店もかねていたようである。

羽津半兵衛にふれた書籍はいまのところ一冊しかしらない。

京の匠、高田秀利、鹿島研究所出版会、1973。

京都の職人を紹介するオムニバス本で、見開き二頁に羽津の写真と説明書きがあるのみ。

年齢は、74歳とある。




説明文によると、

打った弓は自前の弓道場で試射していたという。

場所は詳らかならず。現在京都市内の15間半の弓道場は公私含め五件ほどあるが、

その殆どが私営である。

御幸町万寿寺付近には維新前後には、50軒ほどの弓工房があったが、

現在(1973年当時)は二軒が残るのみとも記されている。

もう一軒は柴田勘十郎である。

また、「京都には平安時代から弓師がいて、とくに八坂神社の神人たちが聞こえていた」

とあるのは初耳。

神事に弓を用いるのは当然あることだが、

まさか宮司(ぐうじ)が弓打ちをしていたということなのか。

現在、八坂神社裏手には園山大弓場があるが、

HP上の沿革によると建立は文久二年(1862年)とあるから時代は重ならない。

くわえて、倒幕派の連絡所だったという記述もあり神人の弓師との関連は低いのだろうか。




閉房した弓師の情報はまるで入ってこない。

ましてや弓師がぽろりと言ったことを調べるのはなかなか骨である。

ふーむ、残念というか消化不良。




<続く>

かも?