ボロディン

怠惰と勤勉の境

さいきんは弓ばかり引いて弓の事ばかり調べている訳だけど、

こちとら関西名うての大学の院生、

勉強する時もある。

というわけで今日は勉強雑感。




分量で言うと一年のうち勉強してるのは一ヶ月もない気がする。

あくまで感覚的に、あー勉強したな、と思えるスパンのことである。




勉強する上で、というか研究の上でもっとも恐ろしいのは、

自分が知りたいと思うことをどうやって調べたら分からないことである。

たとえば、二年くらい前から、

近代化前後のヨーロッパの東洋思想(いわゆるオリエンタリズム)について知りたいと思っている。

イードでも読んどけ、と思われるかもしれないが事情は少し込み入っている。

きっかけは、ロシア五人組というクラシック作曲家の一人であるボロディンが作曲した、

『韃靼人の踊り』を聴いたときだった。

広漠として霧が立ちこめる朝方の芝の大地、

というイメージが脳内に瞬時に作成された。

ロシアっぽくない、ひいてはヨーロッパっぽくない、曲だと思った。

だからといって東洋人が作った曲調でもない。

ボロディンのモチーフは東洋だが、

実際のところ、近代化前後でまだ東洋が未開であった時代だからこそ作曲できた旋律だと思った。

もしかしたらボロディン流の東洋はモンゴルの平原だけをさしているのかもしれないが、

平原やキャラハンや異民族の装束だけをイメージして、あんな曲は生まれなかったはずだ。

ボロディンは脳内でもんもんとした想像を膨らませて、東洋っぽい曲をあみだしたのだ。




心の中にずっとわだかまっているのは、

ボロディンの脳に湧いて出た東洋のイメージはどこから来たのか、という問いである。

イマジェリーの話題だから、東洋思想ではなく東洋幻想と呼ぶべきかもしれない。

『韃靼人の踊り』という近代化前後のイメージの産物。

派手で荘厳なオーケストラではなく、霧の中に佇む静謐とした東洋。

いかにしてボロディンは空想の中の東洋をみちびき出したのか、この曲を聴くたび非常に興味がわく。

だけど、その答えをどうやって知ればいいのかが分からないのだ。

チーン。

ここ二年くらいずっと悩んでる。




勉強で一番おそろしいのは答えを見つけだす道筋が見えないこと。

分からない英単語があったら新英和大辞典、

知らない社会学の話題があったらinternational encyclopedia of social sciences 2nd edition、

名前のわからない作曲家がいれば曲を携えHMVのおねいさんに、

にそれぞれあたればよい。

ボロディンの東洋幻想の場合、自分が門外漢だからわからないだけかもしれないが、

知られざる世界があるようなワクワク感がある。

単純に分からない、ということと、

ワクワク感を生殺しにしておきたいという願望もあってか、

好奇心はずっと同じところに停滞している。




ちなみにロシア五人組のうちバラキーレフは、

『イスラメイ』という非常にテンポの速いピアノ曲を残している。

快速のバイオリン弾きを再現する独奏曲はCDの歌詞カードなどでは、

しっかり(東洋的幻想曲)とかっこづけされている。

だが『韃靼人の踊り』の静けさとは違い、結婚式で男女が踊り狂うような忙しさの曲である。

バラキーレフの扱いは雑多なオムニバスに『イスラメイ』が収録される程度のさんざんなもので、

この曲以外は聴いた事がない。