肥後三郎―弓に生きる

先日購入した本、

肥後三郎―弓に生きる(復刻版、松永弓具店発行、2007年)

いや、なかなか読み物として面白い。

復刻版なので弓具店などでまだ購入可能。

ただし一般の書店にはまず流通していないだろう。

価格、一二六〇円。

ちょっと長くなるけどレビューを書く。




内容は初代肥後三郎(松永重児)へのインタビュー形式なので、

系統だったものではなく奔放に喋った印象があるが、

単発で面白かったエピソードを少し紹介。




・明治期の弓の卸値は八〇銭だったそうな

現在の価値でおよそ八〇〇〇円である。

今日では信じられないほど弓は安かった。

足利の金子城康も熊本の肥後三郎も八〇銭なり。

そのため、明治期の弓師は非常に困窮したそうな。

注:「卸値」なので弓師から弓具店への藤放(ふじばな)し無銘の状態で引き渡す価格

   当時、焼き印、籐巻きは弓具店で行われていたのは周知である。

   当世風にいえばOEM生産のこと




・薩摩弓のヒ・ミ・ツ(?)

初代肥後三郎の父も弓師である。松永萬吉重光といい、佐野新五郎の弟子。

重児は齢十八で鹿児島の服部喜寿(はっとりきじゅ)を頼って東京を出るが、

幼少の頃から薩摩の弓、とりわけ膠について父親から一家言を享ける。

本書の前半分には薩摩のにべが優れているという記述がちらほら見られる。

「鹿児島の薩摩弓という、夏場も冬場も引ける寒暑自在という白木弓(pp.10)」

が東京に入ってくるようになり関東の弓師はこれを解体し非常に研究したそうな。

「ニベもちがない(筆者注:異なる)。中ヒゴの作り方が違う。(…中略)。

丈夫が売り物である代わり、調子が重くて肩味が堅い。つまり実用弓なのです(pp.11)。」

当時に於いてもニベの作り方は秘法とされていたため、

関東では薩摩弓を分解し火にあぶりニベだけをこそぎ取って再利用したなど、

涙ぐましい話もみられる。

補足:今風にいえば薩摩のニベはレアアースだったわけだ。

   ちなみに服部喜寿は戦前の弓師。
   
   その流れを継承する弓師には一燈斎(桑幡元象)などがあげられる。




・煮豆屋と道場破り

弓師は薄給だったため、幼少の重児は家計の輔けのため煮豆の売り歩きのアルバイトをする。

近所や隣町を歩き回るわけだが、名人浦上栄の自宅前を通る描写などもあり面白い。

浦上栄の奥さんが出てきて「アラ、マア!(…中略)。カズちゃん、可哀想に…(pp.114)」

といった具合に煮豆を買ってくれそうな家を巡っていたそうな。

そのうちに牛込(現在の新宿区)柳町弓道場に立ち寄る場面がある。

以下はpp.118-20からの引用。

そこの道場の男に、

「おい、豆屋、小僧。(…)。おまえ、弓が好きか」と呼び止められ、

「好きどころじゃねえ。親父は商売だ」と重児は答える。

ここからが本書のもっとも痛快な箇所だ。

男:「なんていうんだ」

重児:「松永だ」

男:「松永なんて弓師は知らねえ」

重児:「知らねえなら弓引きじゃねえ。もぐりだ」

と、重児は男に食って掛かる。

一悶着のあと帰宅した重児は、ことの次第を親父やその親友に打ち明ける。

重光、小沼豊月(かけの名工)、桐谷勝三郎(小笠原流の門人)の三人である。

おとなたちは奮起一番、「よし、ひとつからかってやろう」と弓を担いでその道場へ向かう。

先に出た父たちに遅れることしばらく、

重児は煮豆屋から着物姿へゆるゆると変身して参上する。

みれば道場の人たちはすでに打ち負かされた様子で、親父たちが弓引く姿に静かに見入っていたそうな。

重児をからかった男は、

「いやあ、恐れ入りました。(…)。

これから月二回位、お互いのクラブ同士で試合をしませんか」

と年二四番の射会を持ちかけたとされるが、

対談中の重児は「そのうち、二〇回以上はうちのクラブが勝ったでしょうね」

と軽妙に答えている。




主なエピソードはおおよそ以上のもの。

そのほかにも、

軍部の依頼で軽気球の支柱に竹弓を用いたこと、

大戦中、本土決戦の民間の備えとして弩(いしゆみ)を製造したこと、

などの話もおもしろい。




全体の感想としては、

明治・大正・昭和初期にかけて重児やその周辺の弓師は研究に腐心し経済的に困窮していたこと、

竹を生きものと観る職人肥後三郎の自然観が随所ににじみ出ていることを感じた。

とくに後者は本書を通読していただいた方が分かりよいとおもう。

外竹や内竹をはがして弓を研究するといった描写が前半で、

後半に至るほど、重児の職人的態度がわかるような記述になっている。




最近は弓の技術的な指導を謳った著書がすくなからず出版されているが、

弓師の心奥をかいま見る本は未だに稀なほうだとおもう。

指導書ではないが、時代性を感じ、弓師のトークを楽しむためにどうぞ。