Y先生

昨日の稽古、

道場でY先生が小生の弓に着目。

普段はグラス弓ばかり引いているからか、

さりげなく竹弓の仕掛けを結んでいるところが目についたのだろうか。

「こりゃ何て銘や?」

「羽津半兵衛です」

「羽津さん知っとんのか?」

麩屋町のあたりに工房があったとか」

根っからの京都人のY先生とあって、京弓の話がはずむ。

「下が立ってんと違うか」

と成りを見てもらう。

「適度に下を踏んでやらんと姫反りが折れるで」

「どうしたらよいでしょう」

「手ぬぐいを弓と床の間に挟んで軽く踏んでやるんだ。」

と踏み方をおそわる。

「すぐ戻るけどな、しょっちゅうやったらなあかん」

「ふむふむ」





普段は厳格で、相変わらず小生の手の内を酷評する、


とにかくおっかないイメージがあるY先生。

しかし弓談義と孫トークには恵比寿顔のツンデレぶり。

還暦をすぎて20キロの大倉重十郎を引く。

在りし日は琵琶湖の干拓地で射流しをしたそうな。

25キロの弓を用いたのに、17キロの弓より飛距離がでなかったとか。

そこから、箆の軽重と矢羽の長短で飛距離は左右されることを実感したとか。

堂射では鴨の羽を使うが、

もうしわけなさ程度にちょこんと乗っかっているように見えて、

あの短い羽を使うことで飛距離が出るのであろうとか。

堂射の弓はしばしば強弓のイメージがあるが、

一昼夜引き続けるにあたり40キロ50キロの弓を継続したとはおもえず、

やはり弓とともに矢も相当研究されていたのであろうとか。

(そういえば京都の岡井満藩士も堂射の研究をしていた。

現代弓道講座第三巻所収。Y先生は岡井先生の指導をうけていたのだろうか)




普段はあまりからまないが、

ときどきの会話のなかで色々なことを教えてくれるY先生。

尊敬してます!