試合と進路と将来と
大阪で弓の試合に出場した。
八年と四ヶ月ぶり。
結果は八射三中の予選落ち。
自分惨めすぎ。
くやしさを通り越して、道化的な嗤いが…
くそ、あいかわらず本番に弱いな。
気分を切り替えて、違う話題。
おととい修論の中間発表会が終わった。
中間発表会のプレ発表にも出席せず周囲の進捗がわからず、
まだ一万字しか書かず、
とっくに置いてきぼりされているのかと思いきや、
みなレジュメが三枚しかない惨状。
といっても自分のレジュメも六枚程度なのだけどねー
だが、
俺の発表には唯一拍手がおきた。
尊敬するベッカー師がまっさきに手を叩いてくれた。
そいつはちょっと爽快な瞬間である。
発表15分+質疑10分のショートプレゼンのために半年もつぶしてるのだ。
久しぶりにいい発表だったよ。
おとといはここ最近で一番いい日だな。
勉強に関してはかなり上向き。
いいことも悪いことも波のように押し寄せる。
倦怠と静謐と絶望に沈潜していた浪人時代がもったいないような気がした。
かといって浪人二年間の時間の無駄遣いがなければ今の意志も競争力もないな。
学部の頃に書いた文章を読めば、ひどい!の一言。
ら抜き表現、主語の混乱、論旨が不明な節の連続、
「こいつ勉強できないわ」と自分でおもったw
俺ももう二五歳のおっさんなのだ、あの頃から大人になったのさ。
ところで、
同じ研究室に同じ大学出身(他学部)の先輩がいる。
専攻はアーレントの悪の凡庸さ。
科目履修生(修士0年生のプレ入学)で院に入ってきたから、
実質マスター四年目である。
去年はついにM3でD(博士)に昇格か、
とおもいきや、
とあるの先生のセクハラ辞任で、院生が数人うちの研究室にM編してきた。
(そいつらはおそらく研究科でもっとも優秀な院生たち)
毎年一先生につき三人しか博士課程の進学枠がないため、同郷の先輩、
あえなく修論通らず。
おとといの発表も去年とほぼ同じ内容のひどいものである。
いや、内容がひどい+プレゼンへたすぎ。
何の感動もない。
アーレントと難民というテーマ設定自体は別に何ともおもわん。
けど、国連の統計とアーレントの文章を引っ張ってきて、一体どこに着地する気?
今年は博士進学志望が俺を含め五人いる。
二年連続で血みどろの争いなわけだが、
ああいう先輩みちゃうと、負ける気しない。
一体どういう時間の使い方をしてるん?あぁ!?
勉強にウェイトを置いてない俺が言うのもなんだが、研究しなさすぎ。
今日の試合の結果を顧みて、俺は弓よりも勉強の方が上手な人なんだと思った。
(得手不得手の実感ね。)
スポーツマンよりアームチェア寄りな。
悲しいが、そろそろ進路が固まった。
研究職なり。