普段通っている道場で会に入るお誘いを受けていた。

ずっと悩んでいたのだが今週ついに入会した。

昇段審査や試合に出場するには所属が必要ということもあった。

野良の弓引きを継続しようとも考えたが、たまには思い切ったことも必要である。




本日は歳の近いS氏から指導をうけた。

S氏は鍼灸医であり、解剖学にも精通しているという(死体を180体解剖・縫合したとか)。

融通無碍な横やりではなく、ひじょうに理性的な指導が私にとってつぼであった。

腰の決めた位置から動かさないためにはどうするか、

仙骨を天井に向けるというわずかそれだけの指導なのだが、

射が覿面(てきめん)によくなった。

あれだけ孤独に半年も四苦八苦していたのがうそのような変わりようである。

それだけS氏の五分間の言は私にハマったものだった。




本当は自分は自分の世界に閉じこもっていたいタイプの人間である。

変わらない価値観のまま、現状が破壊されないシェルターを保持しているのだ。

おもえば、自分の弓観もシェルターがかかっていたのである。

(だからといって、あいかわらず頑固なのには変わりないが)

ときに心を解放することは有益であることも知る。

が、先からの稽古漬けがなければやはりどこかで伸び悩んでいるだろう。

自分の型が完成するまでは結局、指導も努力も両方必要なのである。

当たり前のことを確認した今日という日。