一燈斎と思い出

一燈斎は都城市の弓師である。

弓力以上に分の厚い威容が特徴。

高校のころは五分のものを引いていた。

古い弓で私より一回り以上はなれた先輩が道場においていった代物らしい。

矢摺籐がはがれ、うらはずが剥離した弓を弓具屋にもちこんで無理に直してもらったのが懐かしい。

引退試合で引いた弓、卒業後に譲り受けた弓だった。

今年になって何の気なく弓を再開したとき、一燈斎のあまりの堅さにおどろく。

ずっと引いていなかったから、へそを曲げていたのかもしれない。

裏ぞりが全くない平坦なこの竹弓は梅雨時にだけしなやかな矢を飛ばした。





きのうのこと、

夜の巻き藁練習をしていると、

帽子の溝から弦がはなれたのか、肘力で暴発してしまった。

こわごわ目を開けると弓手の一燈斎は、下側がめちゃめちゃにこわれていた。

暴発とはこれほどなのか、

外竹内竹は完全に別離し、中のひごはちぎれるようにすべて折れていた。

高校時代の半生をともにした一燈斎、昨晩死す。





すこし、弓との思い出を書く。

高校生が引く弓力ではなかった、弓の裏ぞりもなかったため矢勢もなく、

周囲には引くことを反対されたものである。

それでも頑に一燈斎に固執し、射形をととのえられないまま、何度も試合で負ける。

練習中にものすごい矢飛びが一度だけでたことがあった。

あれが五分の弓の本当の矢勢なのだと思う。

その日もうらぞりのない平坦な弓だった。

一燈斎を引きこなせなくて、あたりも出なかったことは、

弓ではなく射手の責任だとおもう。




今年に入って屋根裏から引っ張りだした一燈斎はあの頃と変わらず日焼けしたままだった。

合成糊の竹弓でおそらく三〇歳をすぎ、何年も放置され、とっくに耐用年数を超過している。

それでも弦を張れば昨日という日まで耐えてくれたのである。

壊れるときは派手である。

もしこれが少しだけ竹が剥離したとなればまたケチ臭く修理に出そうとしただろう。

しかし竹と木が気持ちよくはじけるように、死んだ。

その瞬間に一燈斎は思い出となった。




頑丈な弓だ。

いままでありがとう。