柴田勘十郎

京都の五条御幸町上った辺り、彼是四六〇年続く柴田勘十郎という弓師がいる。
 
戦後に一度工場が途絶えたが近年急速にその伝統を遡及し復しつつある、
 
というのは東京の長谷川弓具店のおばちゃんにかって聞いた言だ。
 
先日その工場を訪ねる。出てきたのはさわやかなイケメン男性。
 
「すこし弓を拝見させていただきたいのですが。」
 
どうぞどうぞ、と快く「何キロ程のものですか」、「二寸伸びの二五キロ前後」と私。
 
奥に入り三張、弓をたずさえ出してくれる。壁に立てかけた三弓はどれも新打ちなり。
 
京弓の特徴は、通常より十五ミリほど下にある握り手、細身もさることながら、
 
胴が入っていない点にある。
 
これは梅干に種が入っていないようなもので、極端に嫌う弓引きもいるが、
 
強烈な矢勢を生む。
 
京都の人は柴田さんの弓を購うか、という問には、「あまりない」という言下の返答。
 
(これが在京都の大多数の伝統への答えだろうか。)
 
 
 
 
いまから六年ばかり前の話、母の山形の実家にもどったとき喜寿を越えた祖父のもと、
 
かのときわずかに弓の話をしたことをおぼろげに記憶す。
 
やおら立ち上がった祖父は納屋に入り、ぽつねんと取り残された私の元に一本の弓を持ってきた。
 
なんでも私の曽祖父が百年も前に引いていた弓だそうだ。
 
黒ずんだ弓の張り合わせの間から膠(にかわ)が健康に噴き出しているが、
 
戦中の武器規制の煽りだそうだ、弓は持ち手の三寸上から真っ二つに切られている。
 
両方の切断面が細く削られ金属のパイプが被されているのは、戦後に回復を試みた痕跡か。
 
それが一続きの弓であったなら今でも引くことができただろう。
 
本弭(もとはず)の上には「柴田勘十郎」の銘があった。
 
祖父といまでは幽明境をことにする。