最近、茶を習い始めた。

きっとこんなことは一生に一度もやらないと決め付けていた茶事に、

ひょんなことをきっかけとして出会い、数週間前からはじめた。

出会いは留学生の引率でいやいや通訳係として帯同し、

京都北部にある大徳寺の山門をくぐり、できの悪い頭をひねりねじって言葉を扁平に並べたて、

このお堂の屋根の修復には檜の皮を竹の釘で打ち込み、

その傍らには利休の茶室を再現した席があり、

大友宗麟が二十二歳のときの建立であるといい忘れそうになるところを慌てて付けたし、

さらに云々かんぬんと外国語で発声して後、

最後の仕上げとばかりに学生たちが茶室で抹茶を頂いていたときのことだ。




大徳寺の和尚がお茶をたてながら説明する歴史や語彙を通訳しつつも、心身に著しい疲労を覚え、

体は斜め20度ほどに緩やかに傾斜をはじめ、「そうかこうして戦艦武蔵も沈没したんだっけ」、

と心は過去の戦争の時間軸に吸い込まれそうになっていると、

和尚の哀れみに満ちた目とふいに視線が合った。

「おたくはお茶を習うほうがよろしい、今のままでは何か非常に大切なものを見失う」と、

いかにも曖昧に心にしみこむような天鵞絨の薄衣を、やさしく肩口にかけるような言い方でもって、

そういうお誘いをうけた。




当人は、春先ごろから深奥にうごめき、その正体杳として知れぬものをば迂生が抱えたるを、

先鋭に指摘された気がしていた。

宗教家になどにいらぬと、精神性と遠く距離をおきて自らの心の悲鳴に耳を貸さなかったことが、

心を真っ直ぐとは程遠い形に屈曲湾曲させ、いまはそのツケによって苦しんでいることが、

人の目から見ても明白なようだった。




もしかすれば、これこそ、薬になるのではないだろうか、

という確信の伴わぬ淡い感想に動かされ、茶をはじめることにした。

いまはその効能の現れることを斜に構えつつも期待している。