あくび

京都にいると心が落ち着く。

というのは誤りである。

古色蒼然とした寺社を巡ろうにも、人の足の絶えるところはあらず。

ここは常にしていそがしい場である。

そして我輩は忙しくて借金をしてでも猫の手を借りたい気分である。



京都には心なしか東京よりも野良猫が少ないようにおもう。

東京の路地裏や場末に行けばかならず、近所の物好きに育てられている野良が何匹かいる。

夜の路上にねころび、雑踏の流れを横にし大いにあくびをくれてやる生意気なのがちらほらと。

ところが京都ではそんなふてぶてしいやつはおろか、近隣で猫を見ることは殆どない。

野良文化が根付いていないのか。よもや最近は猫のあくびも見ていないのではなかろうか。

だから心が落ち着かず、猫の手もかりられないから、忙しいのかもしれない。



このあいだ鴨川を歩いていると、飼い主に首紐でつながれた猫が川べりを散歩していた。

犬ならともかくとして、今にして思えば、猫にヒモとは非常に珍しい光景であった。

その猫の肥え太りたる様も件のごとくにあってはどこか物悲しい。

嗚呼、人間のエゴの受容器がここにも一匹。