最近の夢

フロイト先生のいう通り、夢が無意識の表象であるなら、

無意識という人間精神の原野がうつしだす、

幻影世界の理論的整合性は稚拙なものであるはずだ。

そして理論的、理屈が通っていることが知的の要件のひとつであるなら、

次の瞬間に何が起こるか分からない夢の世界の出来事はやはり稚拙だ。

ドアを開けた瞬間に自分が鳥になり大空を飛翔をし、

あるいは自分の死体を目撃したりすることは、

目が覚めてみると一笑の後に忘却される夢の理論的非整合性にほかならない。




ところが、さいきんのわたしの夢にはリアリティーがあり、

目が覚めても夢のなかで感じていた恐怖にがたがたとふるえる。

だんだんと自分の夢に理論的一貫性が付与されているかのように、

まるで一続きの怪奇映画を観賞しているように、

ひたひたと近づいてくるので夢の現実性に恐怖して目が覚める。

目が覚めた先に見える光景に、ひとかけらでも部屋の片隅の暗黒があれば、

そこからなにかが生じるような脅迫におののく。

静的な呼吸がいっそう先細り、胸元を締め付け、心臓はよわよわしく動悸す。

その瞬間に時間は確実に停止している。