後ろ向きな人間

精神の漂泊はもっぱら過去への遡及の旅なる。

純に延延とぐろを巻く夢想を宙に繰り返すれども、

斯様のときに脳裏に浮かぶのは過去の一里塚に今また振り戻ることに他ならず、

遠く北欧の地を両足にて踏みしめた感覚は容易に思い出せれど、

あの痛覚をなでる身体の凍えを今再び思い出すこともまた可なれども、

その脳の光に新しさは在らず。

憎憎しきは、その邪な光は多くの場合、自省を起こさせ、

過去に苦しみ、そこに克己することを精神に強要することである。

思い出すのは、過去の景色、感覚、巡りあい、

如何にその先に新たな道標を知ることが可能となる乎。

鬱とした人間とは、過去に生き、その呪縛から逃がれられない人間すなわちこれなり。

古代のままの世界に、新たな光条は一筋として差し込まず、

彼の地の住民は過去に着底し死を待ちながらもがく、

どうして己は救済されるのだと考えながら。

ならば目の前のものを見、それに気づくのだ。

その虹彩にはより多くの光がもとより湛えられているはずなのだから。