匂い

最近の自分の生活を省みると、

それが極めて単純な連続を繰り返していることに辟易する。

北氷洋のメールシュトロームに呑み込まれた瓶が暫くの後海上にふたたび頭をもたげ、

また永遠に渦の中心に向かう運動を繰り返す。

その螺旋のなかに壱滴でも流れの変化はあるのだろうか。

今、余が身に必要なのは一水の反逆に他ならず、

しかも彼の変化は大仰なものたるべき謂いはない。

ただ渦のただなかで一刹那、小波が流れに逆らって立てばよい。

日常における変化とは、単に一連の所業に変遷を起こすことにあらずして、

嗅覚の捉える匂いの違いであれば十分である。

今朝、南中する前の太陽に照らされた地上が、余が鼻に一瞬放ったかすかな春のにおい、

その匂いの優しみにこわばっていた冬の心は安堵のうちに少しく弛緩したのである。

あの日常に活気をもたらす新たなものの匂い、

それが今の余の生活にモットも有用な力添えなのだ。

その芳香に身をゆだね、唯いっとき、苦も楽をも忘却すれば、

身がふたたび漲る精力のうちに立脚するに相違ない。

匂いを感じず、五感の働きを知らずして日常を送れば、

身は三度渦に吸い寄せられるような心地になる。