ユダヤ教1201の質問
この間ブックオフで買ったユダヤ教に関する本が面白い。
不自然なほどに大量のユダヤ関連の書籍が売られていたが、
使われた形跡からして、どうやら同一人物が放出したものらしい。
そのうちの数冊を購入した。
中でも"1,201 questions and answers about judaism"という本が非常に簡素で分かりやすい。
本書は、おそらく"gentile(非ユダヤ人)"が抱くであろう、
ユダヤ人の日常や慣習に関する1201もの質問に答えていくという内容である。
私はずっと、なぜユダヤ人は黒い帽子をかぶるのか、長いひげを伸ばすのか、割礼の儀式をするのか、といったことを不思議に思っていた。
この本はそういった疑問に答えてくれそうである。
ちなみに上記の項目の慣習をおこなうのは、あくまでも敬虔なユダヤ信徒であるとの由。
まず黒い帽子についての様式は、宗派によって若干異なる。
保守派ユダヤ教ではある程度の柔軟さを認めて、礼拝や食事のとき、安息日である土曜日において、帽子をかぶればよいとする。
改革派のユダヤ教徒は礼拝の最中でも帽子はかぶらない。
つまり全く帽子を使用しない宗派もあるのだ。
だが最も保守的な正統派ユダヤ教徒は、どんなときでも常に帽子をかぶっていなければならない。
ユダヤ教の定める祝日では、頭に"yarmulke"という頭巾をかぶるが、これは白色である。
でもシャンプーのときはぬいでもよい、とは記載されていないが、たぶんぬいでも大丈夫。
なぜなら、帽子をかぶることそれ自体は厳格な義務ではないからである。
その形も特に指定はない。
この、かぶる、という行為そのものは自らの宗旨への忠誠を表す手段として存在するのだ。
長いにひげについては、これは伸ばしているのではなく、剃ってはならないのだ。
ユダヤ教の聖典(すなわち旧約聖書)に、汝髭の角を落とすことなかれ、と記されている。
角とはひげの先端部分のことで、ここを剃り落としてはならないために、伸ばさなくてはならない。
だから伸ばしたひげをジョニー・デップのようにスタイリッシュに刈り込んでもいけない。
ひたすら放置するのである。
伸ばす理由は、異教徒たちがひげを剃っていたことに対抗する心積もりがあったのではないか、ということが発端として示唆的に挙げられている。
異教徒たちは入れ墨をいれたが、これにも対抗意識を燃やしてか、ユダヤ教では禁止されている。
現代ではひげを剃ることは、正統派ユダヤ教で許されている。
しかし使用できるのは電動ひげそりのみで、直刃の剃刀で剃ることはいけない。
長く伸びたひげの角を切り取ることになるからである。
私見では、ひげの先端部分を切ってはいけないのなら、
根元からごっそりとやってしまえばいいのではないか、と考える。
そういう裏技的な要素はあるはずなのだが、それについては言及されていない。
それは、きっと裏技だからである。
割礼は、もちろん男子にのみおこなう洗礼である。
生後8日の赤子(!)を連れ出して、できれば午前中に、儀式は執り行われる。
この切除のセレモニーを行うことによって、ユダヤ人は唯一神と現世での関係を保つことができる。
言ってみれば、神と神の子の間での一種の契約行為なのである。
そのため、包皮切除が衛生的な観点から効果ありと認識されるずっと前から行われてきた。
割礼を行っていないユダヤ信徒は、曰く、神の子からは排外される旨が説明されている。
最近では上野形成外科のようなところへ連れて行って、子どもの割礼を医者に任せる親もいるそうだが、それは許容の範囲内である。
ちなみに、そういった病院ではなく、親たちのみで行う割礼儀式の場合、
子どもが暴れないように押さえつける人のことを"sandak"という。
これは教父という意味。
通例、男の子の祖父の役目である。
一皮切除される息子の命名も正式にはこの式の最中に行われる。
一連の行為のあとでは、饗宴が催される。
物心つかない生後8日の子どもにはちっともありがたくない話である。
以上、早足に見てきたが、
本書はユダヤ教についていまさら他人には聞けないこと、
そもそも知らなかったこと、
他人に吹聴できるマニアックなことまで幅広く集めている。
最近ではさらに多くの質問に答える増補版が出版されたようである。
もちろん以前の版の質問・回答も収録しているので、購入はそちらのほうをお勧めする。
本書の評価は五つ星中、星五つ。
と、こんな書評をやるのはもっと違うサイトだったんじゃないか、と最後に気づく。
不自然なほどに大量のユダヤ関連の書籍が売られていたが、
使われた形跡からして、どうやら同一人物が放出したものらしい。
そのうちの数冊を購入した。
中でも"1,201 questions and answers about judaism"という本が非常に簡素で分かりやすい。
本書は、おそらく"gentile(非ユダヤ人)"が抱くであろう、
ユダヤ人の日常や慣習に関する1201もの質問に答えていくという内容である。
私はずっと、なぜユダヤ人は黒い帽子をかぶるのか、長いひげを伸ばすのか、割礼の儀式をするのか、といったことを不思議に思っていた。
この本はそういった疑問に答えてくれそうである。
ちなみに上記の項目の慣習をおこなうのは、あくまでも敬虔なユダヤ信徒であるとの由。
まず黒い帽子についての様式は、宗派によって若干異なる。
保守派ユダヤ教ではある程度の柔軟さを認めて、礼拝や食事のとき、安息日である土曜日において、帽子をかぶればよいとする。
改革派のユダヤ教徒は礼拝の最中でも帽子はかぶらない。
つまり全く帽子を使用しない宗派もあるのだ。
だが最も保守的な正統派ユダヤ教徒は、どんなときでも常に帽子をかぶっていなければならない。
ユダヤ教の定める祝日では、頭に"yarmulke"という頭巾をかぶるが、これは白色である。
でもシャンプーのときはぬいでもよい、とは記載されていないが、たぶんぬいでも大丈夫。
なぜなら、帽子をかぶることそれ自体は厳格な義務ではないからである。
その形も特に指定はない。
この、かぶる、という行為そのものは自らの宗旨への忠誠を表す手段として存在するのだ。
長いにひげについては、これは伸ばしているのではなく、剃ってはならないのだ。
ユダヤ教の聖典(すなわち旧約聖書)に、汝髭の角を落とすことなかれ、と記されている。
角とはひげの先端部分のことで、ここを剃り落としてはならないために、伸ばさなくてはならない。
だから伸ばしたひげをジョニー・デップのようにスタイリッシュに刈り込んでもいけない。
ひたすら放置するのである。
伸ばす理由は、異教徒たちがひげを剃っていたことに対抗する心積もりがあったのではないか、ということが発端として示唆的に挙げられている。
異教徒たちは入れ墨をいれたが、これにも対抗意識を燃やしてか、ユダヤ教では禁止されている。
現代ではひげを剃ることは、正統派ユダヤ教で許されている。
しかし使用できるのは電動ひげそりのみで、直刃の剃刀で剃ることはいけない。
長く伸びたひげの角を切り取ることになるからである。
私見では、ひげの先端部分を切ってはいけないのなら、
根元からごっそりとやってしまえばいいのではないか、と考える。
そういう裏技的な要素はあるはずなのだが、それについては言及されていない。
それは、きっと裏技だからである。
割礼は、もちろん男子にのみおこなう洗礼である。
生後8日の赤子(!)を連れ出して、できれば午前中に、儀式は執り行われる。
この切除のセレモニーを行うことによって、ユダヤ人は唯一神と現世での関係を保つことができる。
言ってみれば、神と神の子の間での一種の契約行為なのである。
そのため、包皮切除が衛生的な観点から効果ありと認識されるずっと前から行われてきた。
割礼を行っていないユダヤ信徒は、曰く、神の子からは排外される旨が説明されている。
最近では上野形成外科のようなところへ連れて行って、子どもの割礼を医者に任せる親もいるそうだが、それは許容の範囲内である。
ちなみに、そういった病院ではなく、親たちのみで行う割礼儀式の場合、
子どもが暴れないように押さえつける人のことを"sandak"という。
これは教父という意味。
通例、男の子の祖父の役目である。
一皮切除される息子の命名も正式にはこの式の最中に行われる。
一連の行為のあとでは、饗宴が催される。
物心つかない生後8日の子どもにはちっともありがたくない話である。
以上、早足に見てきたが、
本書はユダヤ教についていまさら他人には聞けないこと、
そもそも知らなかったこと、
他人に吹聴できるマニアックなことまで幅広く集めている。
最近ではさらに多くの質問に答える増補版が出版されたようである。
もちろん以前の版の質問・回答も収録しているので、購入はそちらのほうをお勧めする。
本書の評価は五つ星中、星五つ。
と、こんな書評をやるのはもっと違うサイトだったんじゃないか、と最後に気づく。