まま母

私はいい年になるまで、「まま母」という表現はお母さんの二重表現だとずっと思っていた。

「ママ」という英語派生の甘ったるい乳離れのできず、それでいてどこか感傷的な表現と、

「母」という漢字独特の硬い印象と、フォーマルな雰囲気の言葉がミックスされたものだということだ。




つまり、母親のことを「ママ」と呼びたい、

いや、しかしもうママなんて呼ばずに世間的なことも踏まえて「母」にしたほうがいいのではなかろうか。

でも母親は今まで「ママ」だったわけであるし、いまさら「母」なんて硬い言い方はいかがなものだろうか。

そうだ、ここは思い切ってあいだを取って「まま母」にしてしまえばいいんだ。

よし、今度からうちの母親は「まま母」だぞ。




というように、一種マザコン的な思春期の青少年の煩悶が生み出した語彙だと思っていた。

恥ずかしい限りである。

だがこの謎の二重表現に一抹の不自然さを覚えつつも、

私はこれがとんでもない認識違いだということに永らく気づかなかったのである。

その不自然さに拍車をかけ、私が真実を知ることになった転機がある。

曰く、「まま父」という表現である。




以前の認識では、「まま母」の”まま”は"mother"のママ。

つまり女性名詞である。

そこで登場したのが、「まま父」だ。

もちろんこれには混乱した。

しかし、先ほどのように二重表現を曲りなりに正当化することに成功していたため、

ここで私の認識はさらに湾曲した道をたどることになる。




「まま」、というのは女性を表現する言葉である(これがそもそもの間違えなのだが)。

つまり、「まま父」というのは女性でもあり父親でもある。

本来は男性でありながら女性としての一面をも備える。

そう、これは実は父親がオカマだったということが発覚した場合に使用される表現なのだ。

と、思っていた。

具体的な状況を挙げれば、

深夜、手水場に立った息子がその道の途中、妙な物音を聞きつける。

音がした部屋のふすまを一寸開けて、何事かと中を一瞥(いちべつ)する。

そして母親の化粧台に座している父親を見つけるのだ。

そこで鏡に相対していた父親は、女性用のかつらを装着し、口には紅が妖しく光り、

いままさに頬に白粉をつけているではないか!

な、なんということか、わが父が女装などと……

という光景に閉口した息子は、なんとか気持ちを落ち着けるために足音を殺し洗面台へと赴(おもむ)く。

そして静かに水道の蛇口をひねり、流れ出る水を両手にすくい、全て覆いつくすように顔面にあてがう。

その水の冷たさによって、わずかに冷静さを取り戻した息子はこう考えた。

「一体、わが父君を明日から、いや今夜から、どのように理解したらよいものであろうか」。

それまでの厳格な父親像を打ち崩された息子は、女性的な父親というパラドックスに苦しめられる。

その複合を解消するために生み出された語彙が、この「まま父」なのである。




このように、「まま父」は極めて特定の条件下でしか使用されない表現だと思い込んでいたのである。

しかし転機は来た。

あるとき私は、この「まま父」を英語に直すとどうなるものかと考えた。

日英辞書で引くと、"stepfather"という訳語が載せられている。

これを今度は英日辞典で調べる。

そして日本語訳を読む。

こ、これはっ!?

といったところでやっと、今まで自分が恐ろしく勘違いをしてきたことを知ったのだった。

同時に「まま母」の正当なる意味をも知る。

なにごともまず調べることが肝要であると心に銘じた一事であった。

「継(まま)」は「ママ」とは同じものあらず。

ザコンなどとは全く関係ない。




ちなみに腹違いの兄弟は、継兄弟と呼ばれる。

これは、年長の兄弟たちが、年下のブラザーたちをママに代わって養育するからそう呼ばれる。

というわけではもちろんない。

あしからず。