くだらない話

私がストックホルムにいたときの話。

英語学のセミナーでいつも正面に自分の座っている女性がいた。

少し赤みがかかった金髪のスウェーデン人、うるわしい女学生である。

彼女は授業中によく発言をするし、その英語はとても敏捷かつ丁寧に話されている。

しかしその才女がときとして、ふと遠くを見る目をすることがある。

遠くといっても窓の外の景色を望むわけでもなく、

むしろその視線は天を仰ぐように高く位置に泳いでいる。

そして上を見上げたと思った瞬間、ふっと力が抜けたように、頭を垂れて机にだらりとうなだれるのだ。

あるときなど、「あっ」とわずかに声を上げたことがあった。

当時教授の方向へ向けられていた私の視線は、彼女のほうへ自然と移動する。

そこでいささか狼狽した。

彼女の目には涙が光っていた。

何の不幸も起きないはずの教室での落涙。

あきらかに不自然である。

しかしもっと不自然なのは、私以外その教室にいた20人ほどの学生は、教授も含み、

なにもそれ対して反応を見せないのだ。

あたかもそれが当たり前のことであるかのように。

彼女は嗚咽を漏らしているわけではない。

苦しみをかみ殺すように下方をうつむき、じっとしている。

それでもその光景は、注目しないには余りあるのだ。




衆目が無視したその涙に、私は一種異様なものを感じた。

そしてその理由に対し、彼女の周囲にいる私だけが唯一無知であるように思われた。

あるとき意を決し彼女にそのことを聞いてみた。

「なぜ君はとつぜん泣いたりするんだ?」

彼女はこう答えた。

「なぜって、花粉症だからよ」

花粉が飛び交う、春うららかなストックホルムの思ひ出である。
















なんとなく“やってしまった“という感があるが、

それは題名通りである。