お金の額と価値観

ラーメンを食べるとき一杯700円までなら出す。

それくらいの出費をラーメンにしても、財布は痛くもかゆくもならないからだ。

しかしこれが本を買う場合、

古本の購入にも一冊につき300円くらいしか出さない。

いや、むしろこの場合、財布のがま口が呪われたかのように開かない。

なぜか。

言い換えれば、この空腹と知的欲求の金銭観のずれは、なぜ生じるのか。




このような価値観の相違を計算していくうちに、

おそるべき深層心理の実態を見るにいたるのだ……

つまり、

書籍という人間に知識を提供し、補完さえする役目をもつ存在に比して、

一杯のラーメンが自己に占める割合のほうがとても大きいのである。

700円-300円=400円

この謎の計算により、両者の間には”400円”という見えざる壁を見いだすことができる。

いうなれば、普段いかに本の虫のように書生を気取っていても、

その書生が本よりも食に多分に身銭を切っているなら、

結果的は彼の知的欲求は食欲に遠く及ばないという実態を映じているのである。

確かに食は人間の生命維持に必要である。

ラーメンは私の存在維持に必要である。

そこで私の場合、その書籍と食との間に400円以上に差額が生じているなら、食欲>知欲としよう。




そう、そうなのだ。

私は以上のような一瞬のカルキュレーションのうちに、このような自己の恐るべき内面を見るにいたる。

古本に費やすお金、300円。

ラーメンに支払う代金、700円。

知的欲求に勝る食欲、400円分。

ラーメンによって維持される私の存在、priceless。


























そしてなんとなく、ぐだぐだになってしまうオチ、meaningless。