老師

いま履修している授業で一番年を召した先生がいる。

おそらく70歳の手前であろうか。

老師の声は小さく、板書をあまりせず、脱線したり同じことを繰り返すこともままある。

おそらく履修をしているはずの生徒は20人近くいるはずなのに、授業にはいつも5人ほどしかいない。

はっきり言えば、人気のない授業である。

しかし先日、彼に些細な一言に私は感動してしまった。

たったワンフレーズの出来事だ。






話はすこし長い。

その老師の授業の前に、必ず授業時間をオーバーし講義を続ける先生がいる。

熱心に講義しているのであろう。

だが休み時間に入り、次の教室に移動しなければならない生徒もいるのに、講義は終わらない。

彼の授業がやっと終わるのは、休み時間も終わりになる頃である。

しかも、そこで帰ればいいのに、彼は聴講生と雑談をするのだ。

そして、次の授業の開始を告げる鐘が鳴っても、教室で雑談は続く。

しばらくして「先生、どうもすいませんでした」と軽く老師におじぎをして彼は教室を出ていく。

一度ならいい、

しかしそれが学期を通して続くのである。

「あやまるのは、老師に対してだけではなく、私たち生徒にもでしょう!」

喉元まで出る言葉を飲み込む努力をしているのは、最前列に座って老師の授業を待っている私である。

前の授業の先生の雑談で、次の授業が始まらない。

待っている学生にとっては気分のいいものではない。

老師は彼が帰るまでいつも教室の一番後ろの席に控えている。

静かに終わるのを待っている。






しかし、その老師が先日ついにその先生に対して一言を発したのだ。

いつにも増して、教室に居直り雑談を続ける彼に対し、


「雑談は外でやられたらいかかでしょうか?」


いともやんわりとした調子で老師は言った。

彼は不機嫌そうに雑談をやめ、老師にはなにも言わずに教室を出て行った。






私はそこに感動したのである。

なんとも短い一言だ。

むしろ当たり前のことを言ったに過ぎない。

しかし、そのたったの一言に待っている学生の思いが込められている気がした。

その言葉には不思議なパワーが秘められていたのである。

その光る一言により、生徒の気持ちは代弁されたのである。

今まで一握りの言葉であんなに胸がすっとした瞬間はあっただろうか。

私の中の不満など一瞬で消え去ってしまった。




「先生は今、この教室にいるすべての学生の気持ちをおっしゃってくださいました」

老師を前にしつつ、私はその感謝と感動を心の中で表わした。