備忘録
最近勉強したことをここに書くのも悪くはないかな。
いわばこれは備忘録。
この間やっとハンチントンの「文明の衝突」ってなんなのかが分かったのよ。
自分自身「いまさらかよ」と突っ込みたくなった。
いずれにせよ…
「文明の衝突」とは、冷戦後に訪れる新しいタイプの戦争ということ。
一言で言うとそんな感じ。
「衝突」という表現を使ってはいるが、戦争がなくなることをいっているわけではない。
そして、もちろんそれだけではなくて、ハチントンはそれ以前の戦争も時系列で類型化している。
そうすることで戦争の変遷と未来が見えるからである。
それによると、近代国家が誕生してからの戦争を体系化したときに、
一番最初に現れるのが「王の戦争」である。
なんとも古い響きを持つが、これはウェストファリア条約後のヨーロッパの国家間の戦争のこと。
さて、このウェストファリア条約は「国際条約のはしり」と片付けられがちだが、
それまで続いていたローマ・カトリック教会の支配を終結させた宗教和議でもある。
つまり、それまで全ヨーロッパを超国家的に支配していたローマ教会から、王が国を統治するかたちの君主国家が誕生したのである。
つまりこれ以後は宗教の教義をめぐる戦いが、国家拡大を目的とした覇権争いになる。
これが「王の戦争」である。
ここでのポイントは、国家の主体はまだ王様であるということ。
このときは「人民」や「国民」などの個人に関する概念はまだ誕生していなかった。
そして、戦争の次の段階が「人民の戦争」である。
これは、王の下で搾取されてきた人々が、自分たちが君主国家の経済を支えているにもかかわらず、政治的権利は王や貴族が保持するのに疑問を抱いたことに始まる。
そしてその不満が爆発する形で起きたのがフランス革命である。
扇動もあったが、従来は搾取・抑圧される側だった平民が始めて行動を起こしたのである。
それは単なる農民一揆のたぐいではなく、国家体制を変革するまでにいたる。
このときの主体は人民。
これが人民主権の国家を形成していく契機になる。
王の幸福から人民の幸福がこれからの最重要課題になる。
戦争は国民主権の獲得・維持をするためのものへと移っていく。
その次が「イデオロギーの戦争」である。
これは、「人民の戦争」の時代に生まれた国民意識(ナショナリズム)が相対する時期である。
国家の台頭のために国民を鼓舞する要素として、ヨーロッパ列強は「国民」という自覚と、それによる愛国心を形成したのである。
これは蛇足だが、この愛国心を最も有効利用したのが第二次大戦前の日本である。
愛国心はかならずしも民族的な一様性を要求しないが、日本の場合は「日本人」という共通の民族性に加えて、権威主義(強制されること抜きに権力に従うこと)的な社会性があった。
あの熱狂的愛国主義が日本を列強に進出させた一要素だったのは間違えない。
しかし、日本人があまりに愛国心で鼓舞されたせいで、第二次大戦後には愛国主義の大きな衰退を見ることになる。それは長くなるので省略。
ちなみに、日本などのヨーロッパ外の国々のナショナリズムは「民族自決主義」と訳される。ヨーロッパ列強に占領された後の「後発」だから、どうしてもそうなってしまう。
いずれにせよ、人民を誕生させる戦争が、今度は愛国主義という「イデオロギー」がぶつかる戦いになる。
この愛国心レベルでのイデオロギーの林立は、後に民主主義・社会主義・ファシズムなどの対立に発展していく。
それが第二次大戦につながり、戦後の冷戦にまで引き継がれていくことになる。
かなり省略するが、第一次大戦から冷戦終結まではイデオロギー同士の衝突なのである。
そして、冷戦後にやっと登場するのが「文明の衝突」である。
ハンチントンは、冷戦では民主主義・自由主義陣営がイデオロギー的勝利を収めたと指摘している。
つまり、「イデオロギーの戦争」は社会主義陣営の敗北で終結し、世界は次の段階である「文明の衝突」に移行するのである。
ここでの文明とは、イスラム文明・西洋文明・儒教文明など、かなり大枠でまとめられた個々の文化の集合体である。
不思議なことに日本だけは、日本文明として指摘されている。
経済や政治などの制度面では西洋的でありながらも、中心の部分では儒教的ともいえない独自の文明をもっているからだそうだ。当時はJapan as No. 1のときだったからか。これはわからない。
いずれにせよ、国単位だった従来の戦争が、今度は文明単位で衝突するようになる。
文化・文明の違いによる対立は以前から存在したが、イデオロギーの対立という大きな戦争の終焉を見たいまこそは、文明が表舞台で戦う番なのだ、というのが「文明の衝突」の主張なのである。
というのが今日の備忘録。
いわばこれは備忘録。
この間やっとハンチントンの「文明の衝突」ってなんなのかが分かったのよ。
自分自身「いまさらかよ」と突っ込みたくなった。
いずれにせよ…
「文明の衝突」とは、冷戦後に訪れる新しいタイプの戦争ということ。
一言で言うとそんな感じ。
「衝突」という表現を使ってはいるが、戦争がなくなることをいっているわけではない。
そして、もちろんそれだけではなくて、ハチントンはそれ以前の戦争も時系列で類型化している。
そうすることで戦争の変遷と未来が見えるからである。
それによると、近代国家が誕生してからの戦争を体系化したときに、
一番最初に現れるのが「王の戦争」である。
なんとも古い響きを持つが、これはウェストファリア条約後のヨーロッパの国家間の戦争のこと。
さて、このウェストファリア条約は「国際条約のはしり」と片付けられがちだが、
それまで続いていたローマ・カトリック教会の支配を終結させた宗教和議でもある。
つまり、それまで全ヨーロッパを超国家的に支配していたローマ教会から、王が国を統治するかたちの君主国家が誕生したのである。
つまりこれ以後は宗教の教義をめぐる戦いが、国家拡大を目的とした覇権争いになる。
これが「王の戦争」である。
ここでのポイントは、国家の主体はまだ王様であるということ。
このときは「人民」や「国民」などの個人に関する概念はまだ誕生していなかった。
そして、戦争の次の段階が「人民の戦争」である。
これは、王の下で搾取されてきた人々が、自分たちが君主国家の経済を支えているにもかかわらず、政治的権利は王や貴族が保持するのに疑問を抱いたことに始まる。
そしてその不満が爆発する形で起きたのがフランス革命である。
扇動もあったが、従来は搾取・抑圧される側だった平民が始めて行動を起こしたのである。
それは単なる農民一揆のたぐいではなく、国家体制を変革するまでにいたる。
このときの主体は人民。
これが人民主権の国家を形成していく契機になる。
王の幸福から人民の幸福がこれからの最重要課題になる。
戦争は国民主権の獲得・維持をするためのものへと移っていく。
その次が「イデオロギーの戦争」である。
これは、「人民の戦争」の時代に生まれた国民意識(ナショナリズム)が相対する時期である。
国家の台頭のために国民を鼓舞する要素として、ヨーロッパ列強は「国民」という自覚と、それによる愛国心を形成したのである。
これは蛇足だが、この愛国心を最も有効利用したのが第二次大戦前の日本である。
愛国心はかならずしも民族的な一様性を要求しないが、日本の場合は「日本人」という共通の民族性に加えて、権威主義(強制されること抜きに権力に従うこと)的な社会性があった。
あの熱狂的愛国主義が日本を列強に進出させた一要素だったのは間違えない。
しかし、日本人があまりに愛国心で鼓舞されたせいで、第二次大戦後には愛国主義の大きな衰退を見ることになる。それは長くなるので省略。
ちなみに、日本などのヨーロッパ外の国々のナショナリズムは「民族自決主義」と訳される。ヨーロッパ列強に占領された後の「後発」だから、どうしてもそうなってしまう。
いずれにせよ、人民を誕生させる戦争が、今度は愛国主義という「イデオロギー」がぶつかる戦いになる。
この愛国心レベルでのイデオロギーの林立は、後に民主主義・社会主義・ファシズムなどの対立に発展していく。
それが第二次大戦につながり、戦後の冷戦にまで引き継がれていくことになる。
かなり省略するが、第一次大戦から冷戦終結まではイデオロギー同士の衝突なのである。
そして、冷戦後にやっと登場するのが「文明の衝突」である。
ハンチントンは、冷戦では民主主義・自由主義陣営がイデオロギー的勝利を収めたと指摘している。
つまり、「イデオロギーの戦争」は社会主義陣営の敗北で終結し、世界は次の段階である「文明の衝突」に移行するのである。
ここでの文明とは、イスラム文明・西洋文明・儒教文明など、かなり大枠でまとめられた個々の文化の集合体である。
不思議なことに日本だけは、日本文明として指摘されている。
経済や政治などの制度面では西洋的でありながらも、中心の部分では儒教的ともいえない独自の文明をもっているからだそうだ。当時はJapan as No. 1のときだったからか。これはわからない。
いずれにせよ、国単位だった従来の戦争が、今度は文明単位で衝突するようになる。
文化・文明の違いによる対立は以前から存在したが、イデオロギーの対立という大きな戦争の終焉を見たいまこそは、文明が表舞台で戦う番なのだ、というのが「文明の衝突」の主張なのである。
というのが今日の備忘録。