雑感
自分だけの神聖な場所があって、そこにいると汚れのない感情のままものごとをつづることができる。
たとえばブログがそうであって、
この半分匿名で半分特定されている場所であっても新しい記事をものするとき、
真っ白なパレットを開いたような気分で文章を書くことができる。
つまり神聖な場所といっても自分だけの四畳半とか勉強部屋である必要はなく、
ただこのMacBookがあればそれで十分なのである。
真っ白なノート調の画面をどやっと見せつけるMicrosoft Wordが一番文章を書きづらい環境である。
つづいて、Apple社のPages。
これは創意工夫をこらしてはあるけれども、ではあなたの文章をどうアレンジしていきましょうか、
という仕掛けやカラクリにあふれているから純粋に文字を書きたいだけのときはなんとも言えない。
きっとWordやPagesと正対したときにタイピングをする手がぴたっと止まるのは、
何を書こうかあれこれ悩んだ大学生のころの記憶が画面をみるとぶわっと浮きでてしまうからだとおもう。
締め切りに間に合いそうにないレポートは頭のなかではできているはずが、
朝方になってもふわふわと透明なままでいる。
ものの数時間で大作ができあがるはずの公算がそろそろゼロにちがづいてきたところで、
ギブアップして単位をあきらめるか、
ハジを忍んでけちょんけちょんなレポートを提出するか選択せざるを得なくなる。
もちろん十中八九の確率で三文レポートに甘んじようとするが、実はこれが運の尽きで、
何事もてきとうに処理しようとするクセがついてしまう。
レポートにもサークルにも人間関係にも。
とりあえず「優」がとれれば低空飛行で行ってもいいと思うようになるのと、
とりあえず顔がよければ恋人としては合格ラインにあるというのは同じ発想なのだ。
中身がそうとう悪くなければ、相方としても悪くはない。
たぶんレポートでそれなりの点数を稼ぐには、教授ウケのよいご機嫌な文章を書くべきなのだ。
世間なりした美男美女をゲットするためには、最新のノリに合わせて笑わせてみることなのだ。
フォーマットに骨をうずめる覚悟でもって。
知らない間に嫌悪してしまったことは、それがひどく没個性的な旅立ちで、
衣食住に不自由しない生活と引きかえに自分が大切にしている心をうばわれてしまうことの可能性だ。