戦国の弓胎弓

小田原で戦国時代の弓が出土したらしい

信玄軍が使った?戦国の弓初出土…小田原城跡Yomiuri Online,2011/02/13.

写真を見ると、五〇〇年余り経過しているにも関わらず、かなり状態が良好。

漆の塗り弓なので湿気による侵食がすくなかったらしい。

なにより、弓胎(ひご)入りの弓だというから驚き

弓胎とは竹と木を張り合わせる中に竹や木製の芯を仕込む技術をいう

記事にあるとおりだが、それによって弓の弾力や持続力が増す。

弓胎弓は具体的にいつ成立した技術なのか詳らかでなかったが、

これで「戦国~江戸頃成立」という曖昧な説明もなくなるだろう。




ところで、どう取材してそういう表現になったのかわからないが、

弓道四段以上の上級者は日本古来の弓具を好み、高級な弓胎弓を使う」

というのはあまり信憑性のある表現ではない。

無段の弓引きをしている人たちの中にも古来の弓を好む人、弓胎弓を用いる人はいる。

段との交流のない中で弓を独習して、舌を巻くほどの知識を持っている人もいる。

野良の弓引きを軽んじてはいけない。




しかし記事後段にある、

弓の骨董的価値の低さから弓の研究が盛んでない云々というのは全くその通りだと思う。

これはなぜだろうといつも不思議に思う点だ

江戸の誂えというのなら、刀などうん百万円という値がつけられるのが刀剣の世界なのだろうが、

弓になってみると残念ながら噸と評価されない。

たまにヤフオクでたたき売りされている古弓を閲覧するとその思いを強くする。

これは、おそらく弓の骨董的価値=弓の使用価値だからであると思う。

古い弓はある程度保存がしっかりしてないと引けないし、

引けない弓は薪か、修理して引くか、解体して研究する材料くらいにしかならない。

修理すれば竹を総取り替えすることもあろうし、

そうなれば再生というよりは作り直しである。

解体するにしても中を見て何が何だが分からない四段もいるだろうし、

そもそも引けないと分かると大方の弓引きは退散してしまうのであろう。

床の間に飾るにしても、刀の威容と弓の凜とした雰囲気のうち前者が優先されるのかもしれない。

射法の研究がそれなりにされているなかで、弓そのものの研究が盛んでないのは残念至極。

弓の銘や誂えを専門に探究した書は、和綴じのものを除けば、一冊もない