暴力

暴力を唯一合法的に行使できるのが国家(近代以後)。

とすると、それ以外の個人・集団の暴力は非合法、

個人に不当に行使された暴力の報復は、国家が正当な暴力により報復します。

私闘・個人による報復を禁止するのはそれを代行する機関、国家があるから。




そうすると、なぜ一人を殺害した犯人への処罰が必ずしも死刑にならないのか。

被害者の生命<犯人の生命? はない。 被害者の命>加害者の命 もない。

国家による暴力は不可逆的なものであるから、犯罪の暴力より僅少なものとなる。

というのは理屈もおかしい。うまくつながらない。

これの未解決は、幼い子供の「どうして人を殺してはいけないの?」という稚拙なようで、

根源的な問いを前にして、

大人が即答できないという一種のジレンマ・歯がゆさとも似かよっている。

即答できず、満足な答えも提示できない理由は、

おそらく「生命」の絶対的な指標がないためだと思われるが。




西欧で死刑がなくなる潮流にあるなかでⅰ、

西欧的な国である日本が厳罰化を薦めたとしたら、それは逆行ないしは逆流か。

西欧化に対する逆行かどうかⅱ。

(ⅰ死刑廃止が軽罰化なのか、という問題は別にある)

(ⅱいまさら西欧化が近代化であるとはいわせない)




犯罪被害者が厳罰化を求める心根には、それらの矛盾もしくは謎を、

意識・無意識のうちに察知しているから、ともいえる。




うーん、もう少しでわかるような、わからないような。




このあいだのハーバーマスの本もう図書館に返却しちゃったよ。