評伝

知人がわが家を訪ねる。

やつの相変わらずの空威張りと知った風を吹かせるところを拝見できてうれしかった。

しかし彼の気質にはひとつ合点できないところがある。

最近は口を慎んで思ったことを言わないように、すなわち大人になるよう努めているが、

言ってはいけないことをここに書くというのは未だ不可能ならず。




会話の始終彼の口をついて出るのは、金が無い、という金欠に対する不満であった。

週のほとんどを時間給のよい深夜のアルバイトに費やしている彼らしからぬ発言である。

聞くに、年内に家族と別れて一人暮らしを始めるということなのだが、

それへの元手が足りないという由のことを言う。

金のない私のもとに無心に来たわけではないが、敷金や家賃のことをしきりに聞いてくる。

わが家の近辺で家賃が五万円以内の賃貸物件を問われるが、

この辺りでそんな格安のアパートが見つかるわけがない。

トイレや風呂などが共同使用でもおそらく見つけるのは難しい。

そのことは正直に述べて彼の甘い算段を横一線に切るが、ここからさらに疑問が湧く。




彼は話の最中に頻繁にたばこを吸うが、聞けば月に一万円の喫煙代を費やしているという。

数時間のうちにで七本も吸いつけた。

それだけではない。

そのとき傍らに携えていたのはPSPのソフトと今日買ったというアダルトゲームである。

おそらくそれだけで合計一万円以上する。

しかもしきりに海賊版のゲームを無料でプレーする方法を講釈するのである。

それができたら、ゲームにかけるお金を節約できるというのだ。

なにかがおかしくないだろうか。

彼は最初に諸種の理由を挙げて金欠の言い訳をたてていた。

その後でこのような自分の金遣いの荒さを無意識に表明するような話をする。

つじつまが合わないではないか。

なんとおろかしいことよ。

わが友よ、貴様はその矛盾に気づいているのか。




ガールフレンドをもつはよし。

酒やたばこを多少なめるはまだよし。

ゲームもやりたければ仕方がない。

しかしそれらを同時に実行する身において、お金が無いと言い得るのか。

ゲームを無料でプレーする以前にゲーム機など持たなければいい。

本当に金が必要ならばたばこもまた減らせるであろう。

彼にとっての金は”初めから無い”のではなく、”使うから無い”のだ。

私は彼の消費の現実を聞きつつも、最前から湧いていたその反問を胸中に深く黙殺していた。




やつははたして本心から金欠を訴えているのであろうか。

彼の身を飾るアクセサリーは、傍らにある黒革製の高級なたばこ入れは、

本当に必要なものなのか。

それらを保持することにいかほどの理由があるや知らん。

ただ、久しぶりに話す友の言葉には力が無い。

わたしをうなずかせてくれる以前の説得力が存在しない。

いま彼のつづる話には懐疑心を起こさしめる要素のみが散在している。

いつの間にずいぶんぬるい人間になってしまった。

非常に嘆かわしい。




わが友はその矛盾と等閑に気づくことがあるだろうか。

それを黙殺するだけが友人としての態度でないならば、

ここはやはり諭すべきだろうか。

私はいま非常に逡巡している。