胃カメラ

生まれて始めての体験。

というものはたくさんある。

例えば私は昨日、生まれて始めて近所の公園の陸上トラックを20周した。

しかしそんな陳腐な出来事は自分史を語る上では、重要なことではない。

むしろこのような事実は、何を歴史とするかの取捨選択によって、

私の記憶の中にうずもれて二度ともはや顔を出さないものであろう。

そう、何が残るかはすべては歴史家の判断によるものなのである。

20世紀のイギリスの歴史家エドガー・E・カーは、

『歴史とは何か(原題;What is history?)』のなかでこう述べている、

”歴史的事実という地位は解釈の問題に依存することになる”、と。




という思わせぶりな前振りを済ませた後で、

私の言わんとする歴史が、今日胃カメラを飲んだ、ということであるのはいささか言い出しづらい。

しかし、まあ、そういうことなのだ。

注意していただきたいのは、トラック20周分の運動に比して、

胃カメラというのは私のなかで大きなインパクトをもたらした点である。

それほど強烈な体験だったのである。




話はいささか長くなる。

みずからの生来の打たれ弱さ、胃弱、不規則な食生活、変則的な睡眠時間、姿勢の悪さ、出不精、

等々の諸要素により、私は十二指腸潰瘍になった。

以前にもなったことがあるので、二度目となると病院へ行くのにも二の足を踏んでいた。

だがそうこうしているうちに、毎日きりきりとお腹の辺りが痛むようになり、

しまいには、嫌いな人の顔を思い浮かべただけで七転八倒の痛みに襲われるようになった。

それはもしかしたら私の想像力がなせる業(わざ)なのかもしれないのだが、

目も前にもいない人のことで苦しめられるのだから、これにはたまらない。

結局は再び医者にかかるにいたる。




そして最初の通院とき、医者から胃カメラで胃の内部を検査することを勧められる。

曰く、精密検査である。

それには少なからず逡巡(しゅんじゅん)した。

二度目の十二指腸であるし、きっと将来また再発するのだろう。

すでに分かりきっている病気のことで、精密な検査をするのもいかがなものか、と。

だがしかし、今はまさに桜の舞い散る惜別の時期。

淡いピンクの花は散り、枝は緑に染まりけり。

そんな時節に胃の記念撮影とはずいぶんと洒落たものである。

多少の不安はあるが、最終的には胃カメラ検査を承諾した。




そして時は移り、今朝、検診の日。

開院時間の朝9時に病院を訪れる。

受付を済ませ、待合室の椅子に腰掛ける。

平日の午前だけあって、待合いの人数は少ない。

10畳ほどの広さのある部屋は、水を打ったような静けさである。

手持ち無沙汰に先日ブックオフで買った250円の洋書を開いた。

しかしやはり心のどこかで胃カメラのことが気にかかるのか、

そんなときの集中力は外国語を理解するのが困難なほどに散漫である。

そしてなんとか数ページを読み進んだそのとき、

「お次、胃カメラの方、中へどうぞ。」

検査室から医者の呼ぶ声が聞こえる。

私はこれから望む初体験の出来事に多少の不安を覚えつつも、おもむろに立ち上がった。




そして寝台へと案内されて、前処置として注射を打たれる。

胃カメラがスムーズに入るように、喉を麻痺させるためのものだ。

この注射は効き目を考慮して、腕ではなく肩に打つ。

そんな部位に注射を受けるのもまた始めてであり、案の定、かなり痛い。

苦痛を察してか注射をしていた看護師が、大丈夫ですよ、と優しく声をかける。

当初はこの注射が一番の難関であるように思われた。

注射の後、私は陰湿に念を押すように、もう注射はありませんよね、と看護師に問い正す。

彼女は優しい笑顔そのままに、ちいさくうなずいた。

「山は越えたな」、口をついて思わずそんな台詞が出た。

彼女もそれに相槌を打つように、そうですとも、と返してくれた。

そしてうながされるままに、私は寝台の上に横になった。




注射を打たれしばらくすると、喉を奥の感覚が薄らいできた。

普段はもっぱら食を通すのみばかりでそれ以上の意識を配さない喉にも、感覚的なものが存在するのだ。

段々と、つばが上手に飲み込めなくなってきた。

ベッドで横になって10分ほど経ったか。

先ほどの薬の副作用らしいのだが、目もすこしばかりかすんできた。

前処置は順調に進んでいたのである。




そしてさらに5分ほどして、医者が寝台へとやって来た。

「さあ、これから胃カメラ検診をやります。3分で終わらせますから。」

そう言った彼の脇には胃カメラの装置一式が運び込まれてきた。

そのとき、私のかすんだ目は黒いチューブ状のものをにわかに捉えた。

それを胃カメラと認識するのに時間は労さなかったが、驚くべきはその太さである。

てっきりライトスタンドの電源コードくらいのものを想像していたばかりに、

普段使っている太めのボールペン大の直径に圧倒されたのだ。

なんということか、これからあんな太いチューブが体内に侵入してくるのである。

狼狽する私をよそに準備は淡々とすすめられる。

介添えをしていた先ほどの看護師が、私の口に穴の開いたおしゃぶりのようなものをあてがう。

それをくわえて、その穴から胃カメラを通すのだ。

医者はそのとき潤滑を良くするためのジェルをカメラの先端に塗っていた。

そして装置のスイッチがオンになり、チューブの先端にライトが点いた。

薄暗い診察室、こわばる私の顔、冷静で無機質な医者と看護師。

ライトはその不可思議な空間で、まばゆいばかりの怪光を放っていた。

どうやら準備は終わったようである。

ついに来るのである。

もはや胃カメラは黒い邪悪な物体にしか見えず、

その侵入に対し体は本能的におののいていた。




「では行きますよ。」

変わらぬ要領の良さで、医者は胃カメラを口内へと挿入してきた。

3分で終わらせると宣言するだけあって、ものすごいスピードである。

チューブは考える間もなく喉の手前まで到達した。

「ちょっとチューブを飲み込むようにしてください。」

言われるままに飲み込む動作をする。

その瞬間。

げほ、げほっ、とかなり激しくえずいた。

なんという太さ、そして喉越しの厳しさであるか。

チューブは喉元で押し返されてしまった。

「では、もう一度。」

息を整える間もなく、再度の侵入である。

このすばやい攻勢に正常を取り戻す間もない喉は、今度は素直にチューブをうけいれた。

今まさに胃カメラは食道へと差し掛かっているのだ。

しかし喉元を過ぎたにもかかわらず、なんという不快感であろう。

事前に前の晩から食事を抜くように通達されていた理由を始めて理解した。

正直に告白すると、前日は早めの夕食をとったために、深夜に空腹になったのである。

そして冷蔵庫にあったプリンに思わず手が伸びようとしたが、これをなんとか制するという一幕があった。

今から考えると、もしあのときプリンを食べていたら、それを吐き出していたかもしれないのだ。

空腹に負けてこっそりプリンを食べなかったことを、私はえずきを抑えながら神に感謝した。




そのようなことを考えているうちに胃カメラは胃に到達していた。

なにかお腹が圧迫されるような心持である。

目的地の十二指腸はさらに一歩先である。

もう少しですからね、と優しい声が聞こえたと思うと、看護師が背中をさすっていてくれていた。

地獄に仏とはこのことか。




そして胃カメラはついに目的地、十二指腸に到達した。

お腹の圧迫感は再び高まり、えずきを堪えるのも辛くなってきた。

私の片目からは涙がはらりと数滴こぼれ落ちていた。

その悲しみをくみとっていたかは知らず、医者はカメラ小僧のようにしきりにシャッターを切る。

シャッターの音はフィルムカメラのそれとなんら変わらぬ、カシャ、カシャというものである。

「あー、これは完璧に十二指腸潰瘍ですね」と医者は毎々の撮影に所見を述べることも忘れない。

暗い部屋にカメラのシャッター音が立て続けにこだまする。

体内の中ほどまでチューブを差し込まれた私は、なかば串刺しにされた魚の様だっただろう。

鋭い棒に貫かれ、身動きのとれぬまま、火鉢の脇でいいように火あぶりにされているのだ。




「はい、それではちょっと引いて胃のほうも撮影しますね。」

胃カメラが少し体内から引き出され、お腹の圧迫感が薄らいだ。

そこでも数回シャッターが切られる。

いまさら気にもならないが、どうやら胃にも潰瘍があるらしい。

もう私の意識はこの地獄の撮影会がいつ終わるのかということに集中していた。

えずきを抑える必死さで、もはや時間の感覚はうしなわれている。

チューブを飲み込んでからどのくらいの時間が経ったのか、いまが一体何時なのか、

けんとうもつかなかった。

胃カメラに所要する時間は、3分でも5分でもなく、時間の感覚がない今、まさに無限なのである。

私はその一種永遠の苦しみに恐怖していた。




「はい、終わりましたよ。」

医者の声に、はっと意識を持ち直す。

気がつくと、もう喉元までチューブが上がってきていた。

「ではカメラを抜きますね。」

チューブを喉から抜き出すという最後の苦しみを越える。

またえずきがやってくるが、これが最後とばかりに、必死にこらえる。

ついにチューブが口から抜かれ、直後、私は口内に溜まっていた唾液を吐き出した。

そして水中から帰還したダイバーのように、はー、と大きく息を吸う。

正常なる呼吸を取り戻したその瞬間になって、始めて検査の終わったことを実感した。

全ては終了したのである。




その後は、医者から十二指腸の様子について一通りの説明を受けた。

10年ほどの昔だったら入院していたほどにひどかったらしい。

現在は薬の服用で直せるということだからありがたいものである。

そういった話を聞き、写真の現像が終わる日程を確認し、私は再び待合室に戻った。

そして窓口で医療費を支払い、次回の予約を済ませて病院から出た。

入り口のドアを開け、ふと上を見上げると晴れやかな空が見えた。

一日の大事を終え、苦しみに耐えた後は、空はいつも以上に晴々として見えた。




以上が強烈な体験である。

今回のことで十二指腸潰瘍の元となるストレスと真剣に接してみる必要性を切に感じた。

これが自らのストレスコントロールの転換期になるかもしれにない、という予想の元では、

胃カメラを飲んだという一事も、自分史の上では重要な出来事になるのである。

とにかくつらかった。

今は胃カメラを人生に二度とすることがないように願うばかりである。