侮りがたき古本屋

古本屋の大半は個人経営であるが、

個人店の店主は、自分の店で売っている本を網羅的に把握している。

なにげないことで、ありきたりに聞こえる事実であるが、なかなかまねできないことである。






JR水道橋駅の東口を出て、ガード下沿いを日大法学部のほうへ歩いていくと、

入り口に本が山のように積まれた小さな古本屋がある。

店の内に入りきらない本が常に外にあふれているのだ。

閉店後もそこへはビニールシートが簡単にかぶされるだけで、

ざらしのまま外に置かれている(夜半盗まれたりはしないのだろうか)。

手づくりの簡素な木組みの棚に詰め込まれているが、

よくみると文庫本は作家別にきれいに整頓されている。

夏目漱石永井荷風森鴎外、有名どころがそろっている。

状態が良い本が多く、価格はほとんど100円である。




店中に入ると、床から天井までうずたかく本が積まれ、歩ける場所がほとんどふさがれている。

唯一の道は入り口から店主のいるレジまで続くわずかに蛇行した直線的な道のみである。

両脇が本で挟まれ、身をよじらないと通ることができない。

道幅は30センチほどだろうか。

店内をよく見回すと、天井近くの棚の上にさまざまな全集が置かれている。

徳富蘆花中江兆民柳田国男が並ぶ。

徳富蘇峰小泉信三の全集はいまにも落ちてきそうだ。

ハイデガーの原書も扱っているが、とくに社会科学の本が多く見受けられる。

狭い道の奥にいる店主は、もくもくと黄ばんだ本の背を紙やすりで磨いていた。




「なにかお探しの本があったら言ってください、なにしろこんなに本があるものですから。」

店主は紙やすりをかける手を休めずに言った。

私は「北方領土の漁業権に関する本はありますか」とたずねる。

「そういうのはうちでは置いていませんね、最近の話題ですね。」

2秒とかからず答えが返ってくる。

「では、百科事典は置いてますか」、改めて聞く。

「どういった種類のものですか。」

「ブリタニカなどは。」

「うちでは平凡社のものしか置いてませんね。」

これにもすぐに返答がある。

店内にある本を店主は把握しているのである。

網羅的に。





一見無秩序に棚に詰め込まれた本は、

実際はそれぞれの分野に分かれ、右から左へ整列しているのである。

そして、その一つ一つが店主の体の延長線上に組み込まれ、

数千の本は、ある意味、店主の中で息づいているのだ。

古本屋の主は侮りがたき神秘性を放つ。