家庭教師

私はいま中学三年生の家庭教師をしている。

アルバイトである。

多少過酷である。

時給は2500円である。

生徒はわがままである。

合格の見込みは20%未満である。

それは私の勝手な概算ではなく、模試の結果表に基づく正確な数字である。

このままでは合格の見込みなしという瀬戸際で、家庭教師のわたしは苦しんでいるのである。

そう、それは生徒の苦痛を身代わるわら人形であるかのように。






思い返せば、わたしが中学生だった頃、自分の学力は果たしてどのくらいだったのだろうか。

さいきん昔の自分と生徒を比べてみては首をかしげている。

すくなくとも15歳の私は「日清戦争は1945年に終結した」とは言わなかった。

「表面積」という漢字も書けた。

そして「大田区東京都知事」という奇怪な表現も使用しなかったはずである。

東京都には23区という行政区分があるというのも知っていた。

東京都知事ダイエーの社長」とも言わなかった。

なんでも、ダイエーの社長は生徒宅の近所に住んでいるらしい。

都内有数の高級住宅地に住んでいるからだ。

だから時給2500円なのだ。





しかし、生徒の家族に私はあまり快く思われていないようなのだ。

それもそのはずで、前任の家庭教師が東大生であったからである。

私は日大生。

だいたい三つくらい格下なのである。

もちろん私は自分が格下とは思わないが、それはゆるさじ世間の目。

日大生への風当たりはきびしいのである。

この間など、

「日大はむかし(学生運動の頃)入りやすかった」と生徒のお父上に言われる。

その人も私と同じ日大法学部出身なのだが、

言わんとされている暗示が、「受験に失敗して他に入れるところがなかった」という感じなのだ。

ちょっとムッとする。

しかし、それは日大が学部生だけで10数万人を数えた大時代の話である。

今は子どもの数も減り、学生運動もなく、日大の荒々しい部分はリファインされている。

だから学生運動で狂喜乱舞したゲバ棒学生とは、今日の日大生は一線を画すのである。

つまり一緒くたにされたくはないのだ。

それでも、なんとなく給料泥棒だと思われている節があるので、居心地の悪さは残る。