生もの 2

最近の小生の文章には、それほど悪くないものがわずかにある。

次の日の無添加食品のように、昨日は健全にみえた代物が今日には腐っている、

ということばかりではないようだ。

だからといって文章に食品添加物が入っているわけではないよ。

パンが添加物により二三日も日持ちするという事実はかなり奇怪であるが、

(ふつうは焼き上がりから半日くらいが食べごろのピーク)

文章は愛情があれば三日以上に長生きする。

ただし執筆を完了してから愛を注いでも手遅れです。

校訂の時点で注いでも遅く、

それはまさに筆を動かし、あらたな文字を創生しているときに他はない。




ただしどうやったら文章に愛が芽生えるのかは不明。

いくら原稿に頬づりしても、千の口づけを浴びせても、それは官能的ですらない。

静的なものに対して愛を抱くのだからそれはおのずと自己完結的となる。

つまり、一歩踏み外せば自己愛であり、二歩踏み外せば自己性愛であり、

三歩目なくて崖から落ちるくらいだと自己欺瞞である。

そうなってしまうと役者は二人もいなくなる。




いずれにせよスイッチが入らないと上手いものは書けない。

不思議だ。それにそれだと困る。