パソコンの寿命

私のパソコンは今年で4歳になる。

人間の感覚でいえば壮年期にあたるだろうか。

その人物の旨味や人生観がにじみ出てくる時期であるが、

これがパソコンとなれば違う。

いってみれば生まれたとき、つまり製造工場から購入者の手もとに渡ったときが絶頂期であり、

そこを頂点として性能は下降線をたどる。

最初の1年や2年は若馬のようなすばやさがあるが、

その後の時期になると徐々にスピードが衰えていく体感するのだ。

馬なら種牡馬になるが、引退したパソコンは廃品工場の露と消える。

もしくはばらばらに分解されてその一部一部が回収される。

ざんこくな話である。

そして4年という歳月を経て、私のパソコンはその壮年期を大きく通り越してしまったかのごとく、

鈍重な動きをしている。

もう先は長くないのか。

でもまだもう少しだけ長生きしてもらいたい。




長い間使っている物には、ある種のたましいが宿る。

しかし言い換えれば、それは物が自分の体の外的な一部となっているのである。

実際の肉体ではないが、常に身近にあるものはその延長線上の存在となるのだ。

これは物だけにあらず。

慣れ親しんだ近所を歩いていても、

自分の家にいるかのような気持ちになるのと同じである。

そして今使っているこのパソコンも体の一部である。

ぜひ長生きしてほしい。