日本社会の構成要員として四年が経過した人物に関する考察

昨日近所を歩いていたら高校の友達にばったりと遭遇する。

ばったりというのは、

大通りの遠くに友達の姿を認めて追いかけようかどうか迷った挙句に、

さも偶然のような再会を演出するのが一番劇的で自然だと思ったからである。

つまり人工的なばったり。



しかし私のいらない演出が悪かったのか、

二年ぶりに再会したはずの友達はなんともそっけない。

「なんだ、抱きつくぐらいしてもいいじゃないか」と心の中で不満に思う(失礼)。

すでに社会人の彼女はきっと仕事で憂目を見たのだろう。

そうとしか考えられない。でなければ私は彼女の熱烈なハグを得ていたのに。

まったくくやしい思いである。



しかし社会人も四年目になるばずいぶん落ち着いているのかもしれない。

彼女は私を見た瞬間、

「えっ、ていうか久しぶりなんですけど」

と冷静な切り替えしをしたが、社会人は皆一様に以前とは異なる雰囲気をもっている。

第一は声の調子にあるでせう。

以前は「きゃー、久しぶり!!!まじ元気にしてかよ、おい!!!」というように、

多少悪態を交えつつも「!」が三個もつくくらい元気いっぱいだったはず。

第二は冷静さですね。

私を見た瞬間にはしゃいだりしない。

むしろ「なんか用?」というふてぶてしさがある。

第三はそっけなさ。

私は一緒にお茶でもしようかと思ったのに、

「じゃ、またね」と間を置かずに言い放たれる。

結局話した時間は二分くらい。

これはあまりにもそっけない。

もちろん「変わらないでいて…」なんて湿っぽいことはいいませんが。



ここまで書いてから、高校を卒業したときその彼女に第二ボタンをあげたのを思い出してしまった。

金を返せとはいわない。

別に付き合ってもいないが。

でも今頃になって惜しい気がしてきてしまった。

ただでさえ暑いのに、まったくもやもやする心持である。

今でも彼女はあのボタンを持っているのだろうか。